
藤島昌治「鶴を折っています」[2021年12月10日(Fri)]
まさはる
鶴を折っています 藤島昌治
鶴を折っています
子ども達のみらいに向って
鶴を折っています
戦争のない
明るく 伸びやかな
時代になりますように と
鶴を折っています
広島や長崎に
原爆が投下された日のことを
思いつつ
核兵器を使用するな
廃絶せよ と
鶴を折っています
戦後七〇年が過ぎて
未だ
米軍の基地から
逃れられない
沖縄を思って
辺野古の海を返せ と
鶴を折っています
原発の放射能で
汚染された
福島の空を見上げ
原発をやめろ
再稼働を赦(ゆる)すな と
鶴を折っています
折っても 折っても
とても 足りそうにありません
ひたすらに掌を合せても
思いが伝わりそうにありません
祈ります
願いが届きますように と
子供達の未来が
希望に満ち満ちたものに
なりますように と
鶴を折っています
藤島昌治(まさはる)『色のない街 フクシマからあなたへ』(遊行社、2019年12月)より
◆鶴を「折る」ことがそのまま「祈る」になることを、漢字のつくりが示している。
「祈る」とはある時一回限りの行為ではない。
願いが成就するまで、心に念じることを手のいとなみによって形にあらわすことを繰り返す。
繰り返すとは波となり風となって「いま・ここ」から遠い遠い所まで渡ってゆくことを信じることのようだ。遠くへ渡ってゆくものは言葉である。
この詩から教えられるのは、それが未だ実現しないように見えても、向かう先だけは決して揺るがないこと、そうして、その方向に言葉が発せられていることだ。
それが「祈る」ということだと教えられる。