やまだ紫「塔」[2021年10月27日(Wed)]
◆車屋(ディーラー)さんから新型車の案内があった。
現在乗っているのを買ったときに、これで乗り納めにするつもりだと伝えてあり、今のところ不具合もないので乗りつぶすつもりと改めて伝えたが、今乗っているのもすでに9年目ではある。
送られてきた新型車のカタログだけ見ていると、もう一台乗る可能性、ゼロではないかもなどと思い始めている(信念のないのが今に始まったことでもないけれど)。
◆借りていた本(さる宗教家夫妻の伝記)を読んでいたら、二人の間に生まれた息子さんの誕生日が当方と同じ日(7月下旬)であることを知った。その方は気の毒なことに二歳に満たない年齢で夭折してしまうのだが、こちらは煩悩が埃をまとったような馬齢を数十倍重ねたのみ、と思うと複雑な気分である。
◆この夏に更新した運転免許の有効期限を確かめたら、5年先の8月までだ。茫茫と遠い未来に等しいのに、自動運転の優秀なのが普及していたら、もう一台……などと漫ろなる欲心の跳梁を許している。情けない。
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塔 やまだ紫
年のせいではない
樹々や花と共に生きなくなってから
もろくなったのだ
土の恩恵で みずみずしく芽吹くものたちから
隔たっている都会の人々は
罪を背負って産れ出たようにおびえて生きる
とらわれ人のように
小さな窓からの四季を全身の毛穴にも
吸い込もうと息する
磔刑は明日かもしれないのだ
『樹のうえで猫がみている』(思潮社、2010年)より
*著者没後に新収録のものを加えた決定版詩画集である。