CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2021年09月 | Main | 2021年11月 »
<< 2021年10月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
北爪満喜「神無月に」[2021年10月08日(Fri)]



神無月に  北爪満喜





大空の目は白い巨大な渦をともなって近づいてくる
多雨の朝 風はまだ
砂の上の水たまりに
雫のざわめきが歓声となって昇るここ
雨の流れの広がりは 深まりうねり川となり
はやまり削り合流する
砂上の水は
いつか遙かな高さから見下ろしたシベリアの大河のうねり
空からの眺め 引きとって
ミクロになって河岸の一粒の砂につかまり
うねる雨水の流れを見つめる
見飽きなかった子どもの私が笑いだすと
声に誘われ 巨大な渦の雲の目をくぐり
笑いながら駆けてくるのは風の精
限りない天を守る童子の気配が 解き放たれてくる
天空から振り向く澄んだ童子のまなざしに包まれ吹いてくる風
細長く砂州が横たわるあれは天の橋立か
水のあいだを分けて連なる砂は弓なりの橋立へ
よさの海はどちらだろう
雨のざわめきの昇るなか
遙かな呟きが聞こえてくる

カエデの葉が波音を立てて飛ぶ
じざいな風は
大空に開いた目の瞬きひとつで 吹き降り 渦巻き かけあがる
砂の広場は荒磯
神のいない秋に
木々の梢は頭をゆらししなやかに
風波にのる龍だ
飛沫く風の海
頰を肩を背中を押され
しなう私は
薙ぎ払われる
押し寄せる波に首をすくめ
繋げる手のひとつもないまま


カメラを手に歩いていく
すずかけの木はどこにあるのだろう
落ちている実にそっと近づいてゆく
足元のシルエットはどうしてこんなに黒いのだろう
久しぶりの陽に照らしだされて
砂の上に黒々とくっきり
片手をさしのべた怪しい指には四角い形が握られている
身をかがめ
何かをかすめとろうとするようにそっと近づくシルエットの
私に私が怯む
何も得られるわけではない
ただ光の 今の 切れ端を 子どものように拾っているだけ
足裏から時間が昇る 私に溶ける
立ちどまる水の柱になって
歩きだす水の風船になって
めぐる水音はここを超え時とまじり鼓動をはやめる
ギュッと握ってくしゃくしゃにしたきれいな葉っぱの
青臭さがくる
ギュッと握ってどきどきして今を破りとっている
シャッターを切るシルエット
何も得られるわけではないけど
すずかけの木はどこだろう



北爪満喜『Bridge』(思潮社、2020年)より


◆秋にふさわしい一篇を、と思って読んでみた。
三つの連から成る。連の間の空けてある行数は、第一連の末尾「遙かな呟きが聞こえてくる」の後は1行、第二連の末尾「繋げる手のひとつもないまま」の後は2行空けてある。
詩集ではその改行部分がちょうどページの区切りになっているので、何行空けてあるか、ページを〈めくる&戻す〉を繰り返して確かめた。細かいことだけれど、この詩のように朗読するにふさわしいリズムやテンポを感じさせる詩では大切なことだ。
(詩集に限らず、編集が行き届いた本は、紙を光に透かすと、表裏の印刷がきれいに重なっているものだ。ページの区切りに行の空きがあるかどうかも、これで判断が付く。)

◆連の間隔が1行分と2行分では「空き」のあとの読む速度が違ってくる。2行空けた後の第三連は、音楽でいえばアレグロもしくは「足裏から時間が昇る 私に溶ける」辺りはスケルツォという感じで読むのがふさわしいだろう。

*行間に注意がいる払われているのは、詩題と本文の間も同様のはず、と考え、原詩通り、5行空キとした。


◆リズムは言葉を紡ぎ出すときの呼吸が関わってくる。意識の働かせ方の速度(の変動)と言ってもいい。
例えば第一連5〜6行目、「雨の流れの広がりは 深まりうねり川となり/はやまり削り合流する」。「七五 七五/七六」と、地表を前のめりに進みながら〈gou-ryuu-suru〉と終止させる。

ついで目は空へとかけり、俯瞰したかと思うと、直ちに下降して小さな砂粒に取り憑き「子どもの私」と天の童子との交歓へと転じてゆく。水と砂による空間&時間を縦横に飛ぶ第一楽章という趣。この第一連を収束に導く一行、「よさの海はどちらだろう」は、一音一音を速度落としながら読むのがふさわしい。そのためにも、ひらがなにしてあるわけだ。

◆第二連は海に出て風と波。変幻自在の「龍」にただ目を瞠りもてあそばれるばかり。

◆第三連、カメラを手にさすらう私のシルエット。身の内の「水」が木や雨や風に感応して滾(たぎ)り始める予感。

「すずかけの木はどこにあるのだろう」「すずかけの木はどこだろう」と繰り返されるつぶやきが印象的だ。
60年余のむかし、始業前の校庭で遊ぶ子どもたちを見下ろす鈴懸の木に登っていたことを思い出した。時々夢にみることすらあったあの木、今はどうなっただろう。

あすこには未だ、自分のシルエットがあるだろうか?





| 次へ
検索
検索語句
最新コメント
マキシミリアナ・マリア・コルベ
コルベ神父のこと その2 (06/23)
タグクラウド
プロフィール

岡本清弘さんの画像
https://blog.canpan.info/poepoesongs/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/poepoesongs/index2_0.xml