CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2021年07月 | Main | 2021年09月 »
<< 2021年08月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
最新記事
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
日別アーカイブ
シッティング・バレーボール[2021年08月31日(Tue)]

◆パラリンピックに「シッティング・バレーボール」という種目がある。
試合の様子をTV中継で初めて見た。

下肢に障害を持つ人が、坐った状態でバレーボールを行う。
コートはそれぞれ八畳間ぐらいの大きさ。そこに大人6人が坐る。ネットの高さは1メートルほどだろうか。
6人制バレーと同じく、得点してサイドアウトがあるたびにローテーションもある。

味方同士の距離も、対戦相手との距離も近いし、レシーブ、パス、スパイク、ブロックまでのテンポも速い。移動も坐ったままで行うので選手たちは大変だろうが、見ていると何かホノボノした雰囲気が漂っている感じなのだ。

*昔のサラリーマン映画、昼休みの会社の屋上でバレーボールに興じているシーンがよくあった。
丸の内界隈の会社で、フェンスの向こうを走る東海道線の列車をのんびり眺めている人もいたりする。あれに近い。
あるいは、村の会館に集まった人々が、車座になってレクリエーションを楽しんでいる雰囲気に近い。

◆無論、選手たちの表情は真剣そのものなのだが、距離の近さは心理面でも近接した何かを生み出すのだろう。試合後、敗れた側が拍手で勝者を讃える姿も自然で、形式的でない真情を感じさせた。

「坐る」=「腰をおろす」という体勢は、驕りや侮蔑から人を遠ざけてくれるようだ。
圧迫や敵意を相手から感ぜずに済めば、自然と手を差し出すことになる。
手と目は連動しているから、世界も柔らかな光に包まれて輝いて見えてくる。


*******


かくれんぼうの時   多田翔平


地面と一体になってかくれたら
運動場にかげろうがみえた
この時 ぼくは
はなしに聞いていたかげろうを
かくにんした
地面にペタリと腹ばいになって
運動場を見たら
運動場がちがう世界に見えた


川崎洋・編『こどもの詩』(文春新書、2000年)より


| 次へ
検索
検索語句
最新コメント
マキシミリアナ・マリア・コルベ
コルベ神父のこと その2 (06/23)
タグクラウド
プロフィール

岡本清弘さんの画像
https://blog.canpan.info/poepoesongs/index1_0.rdf
https://blog.canpan.info/poepoesongs/index2_0.xml