田村驤黶u天使」の〈時〉[2021年06月07日(Mon)]
◆別の詩人には別の「時」が経験されている。
天使 田村驤
ひとつの沈黙がうまれるのは
われわれの頭上で
天使が「時」をさえぎるからだ
二十時三十分青森発 北斗三等寝台車
せまいベッドで眼をひらいている沈黙は
どんな天使がおれの「時」をさえぎつたのか
窓の外 石狩平野(いしかりへいや)から
関東平野につづく闇のなかの
あの孤独な何千万の灯をあつめてみても
おれには
おれの天使の顔を見ることができない
*池澤夏樹・個人編集『日本文学全集 29 近現代詩歌』(河出書房新社、2016年)より
◆夜行列車の多くが姿を消したので、この詩のような「時」を経験することもまた消えてしまったことになるのだろう、このように書きとめられたもの以外には。
◆列車というものは確かにどこそこを何時に発ち、どこそこに何時に着くように走る。
しかし、それは時間の進行を体験することを意味しない。
特にこの闇の底を走る寝台列車においては。
◆この詩の「時」は時間のことではない。身を横たえて闇をの中を運ばれてゆく自分が、生でも死でもないところに浮いたまま、天使の存在を感じている、という「体験」のことを指す。
いくら眼を凝らしてもその天使の顔は見えないのだけれど。