〈ぜろにならない、すうじ〉[2021年04月19日(Mon)]
たすいち 宮尾節子
いちたすいちが
にじゃないことを
ほうしゃのうが、おしえてくれた
いちたすいちから
いくつをだしたんだろう、ひとは
ひいても、ひいても
ぜろにならない、すうじがある
いちたすいちが
しになる ひ
いやだ。
唐辛子の辛さは 水を飲んでは
駄目らしい
どうするの
もっと食べるの もっともっと
食べるの
唐辛子を
するとね 平気になるん
だって
したがね 舌が
麻痺して
嫌だ。
宮尾節子アンソロジー『明日戦争がはじまる』(集英社インターナショナル、2014年)より
◆放射性同位体の「半減期」というのがある。
話題のトリチウムでは約12年という。
セシウム137では30年。
プルトニウム239の2万4000年に比べれば軽くウィンクする程度の時間に過ぎない。
それに体から自然に排泄されるのを計算に入れれば、このプルトニウム239ですら20年を事実上の半減期とみなしてよいとか。「実効半減期」というそうだ。
(環境省「原発由来の放射性物質」より
⇒https://www.env.go.jp/chemi/rhm/h28kisoshiryo/h28kiso-02-02-04.html)
◆それはそうなんだろうけれど、どうも「半減期」という言葉を使う人間は〈半分に減れば、無視しちゃっていいレベルで、ザックリ言ってほとんどゼロに近い〉という意味を含ませてしゃべっているようであり、聞かされる側も、「専門家」が言うんだから、疑うのは失礼というもので、明るい未来を一緒に信じるのが分別ある人間のギムというもんだ、と当然視しているらしい。
そうした空気に違和感を覚えたまま、この十年余りを過ごして来た。
その間、体内では、「半減期」からさらに同じだけの時間が経って1/4、或いは実効半減期を勘定に入れて1/4以下に減ったところで、どこまで行ってもゼロにはならないわけで……と、「北の国から」の「純」少年のようにブツブツつぶやくしかない割り切れなさが黒い光を放射し続けて来た。
◆上の詩に言う「唐辛子」は、むろん放射性物質のたとえだが、これには姉妹株も多い。
「絆」「日米同盟」、「適切に判断する」、「仮定の話にはお答えできない」……これらはどれも辛くはなくて甘口なのに、たくさん食べているうちに舌が麻痺してしまうのは一緒だ。