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武西良和〈靴跡は消えねばならない〉[2021年01月16日(Sat)]

武西良和『鍬と錆』の〈冬の章〉からもう一篇。


靴跡   武西良和


固い土を掘り起こし
細長い畑の南側に
畦道を
泥が継ぎ当てのように
つぎつぎとズボンにへばり付いて

道ができあがったとき
ズボンは汚れきっていた

来た道に向きを変え
鍬を肩に掛け
新しい道を引き返す

土は軟らかく歩くたびに
靴跡がつけられていく

行ったり来たりしていると靴跡が
踏み固められ さらに靴跡に
踏みならされて

靴跡は消えねばならない
それが靴跡でないと思えるまで



◆結びの2行「靴跡は消えねばならない/それが靴跡でないと思えるまで」は、土を相手に生きることの覚悟を端的に語っている。
鍬をふるい山の畑に新しい畦道をつくる。父祖が拓き耕して来た営みに己も連なりながら、我が亡きあとへの祈りも鍬に託されているだろう。

◆詩集「あとがき」によれば、この詩は、ウンガレッテイ全詩集の「河川(かわがわ)」の中の「うずくまって/戦いに汚れた/衣服の脇で…」に触発されて成ったものだという。

ウンガレッティのこの詩は、1916年、第一次大戦の塹壕の中で生まれた。
詩人ウンガレッティの誕生を告げる作品。
ユーゴスラヴィアの国境に近いイゾンツォ川に「水の骨壺のなかに/そして遺骸のように」身を休めて、「おのれが/この宇宙のかぼそい/草に過ぎないこと」を知る。同時に、これまでの自分を育ててくれた「河川(かわがわ)」=ナイルやセーヌ、トスカーナのセルキオ川…を思い出してゆく。

◆ウンガレッティの「河川(かわがわ)」には、「苦しみは/調和した/おのれが信じられない/ときにある」という一節がある。
戦場に在って、人間の行いへの懐疑・世界との違和が己への不信となってわが身を苛んだことを表しているのだろう。

◆その詩句から武西の「靴跡」に戻って読めば、「靴跡でないと思える」ときとは、おのれの苦闘の跡が消えたときだ。
すなわち、「おのれ」なる小我がこねられて泥に溶け込んでゆき、「おのれ」を生み育てた土くれに再び還ったときと言ってもよい。

*『ウンガレッテイ全詩集』は河島英昭訳で岩波文庫(2018年)。「河川」の引用は同書より。また訳注を参照しました。


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