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高野喜久雄+田三郎『水のいのち』より「水たまり」[2021年01月08日(Fri)]

田三郎が作曲した合唱組曲『水のいのち』、第2曲および第3曲では高野喜久雄の原詩は大幅に変身を遂げていた。

第2曲の「水たまり」について、A=原詩、B=組曲の改作版の順に並べてみる。




水たまり    高野喜久雄

轍の くぼみ 小さな
どこにでもある 水たまり
ぼくらは まさにそれに肖ている
流れて行く 目あてはなくて
埋めるものも 更に無い

ぼくらの深さ それは泥の深さだ
ぼくらの言葉 それは泥の言葉だ
泥の契り 泥の団欒 泥の頷き
泥のetc

しかし
ぼくらにしても いのちは無いか
空に向かう いのちは無いか
あの水たまりの にごった水が
空を 写そうとする程の
ささやかな
しかし一途な いのちは無いか
写した空の 青さのように
澄もう と苦しむ 小さなこころ
写した空の 高さのままに
在ろうと苦しむ 小さなこころ


【日本現代詩文庫『高野喜久雄詩集』p.29(思潮社、1971年)より。収載詩集は『存在』(1961年)】





水たまり   高野喜久雄

わだちの くぼみ
そこの ここの
くぼみにたまる

水たまり
流れるすべも めあてもなくて
ただ
だまって
たまるほかはない

どこにでもある 水たまり
やがて
消え失せてゆく

水たまり
わたしたちに(に)ている
水たまり

わたしたちの深さ
それは泥の深さ
わたしたちの言葉
それは泥の言葉
泥のちぎり
泥のうなずき
泥のまどい

だが
わたしたちにも

いのちはないか
空に向う
いのちはないか
あの水たまりの にごった水が
空を うつそうとする
ささやかな
けれどもいちずないのちはないのか

うつした空の
青さのように
澄もう と苦しむ
小さなこころ
うつした空の
高さのままに
在ろうと苦しむ
小さなこころ


【松井慶太・指揮/東京混声合唱団『水のいのち』(フォンテック,2011年)ライナーノートより 】

◆合唱曲版で大きく変わった部分を黄緑色で示した。
原詩では「ぼくら」が3行目に早くも登場し、その自問に比重がかかっていたのを、合唱曲版では「水たまり」を前景に焦点化させ、人間の方は第2連にズラシたことが分かる。加えて「ぼくら」を「わたしたち」に改めた。より広範な合唱者たちに歌われることを想定した改変であろう。

◆「人間」の方を後に移しても問いの言葉は残した。「水たまり」はそれに見入る人間の存在と、それを見下ろす姿勢が必然的に内省へと向かう契機としてそこに在るからだ。
ただし、原詩が「ぼくら」と称しても自問として閉じた印象が強かったのを、「わたしたちは」と改め、問いをたたみかけていくかたちにしたことで、問いはより切実で普遍的な問いかけへと変貌した。
とりわけ、下にで示す、問いかけの波状攻撃が印象的である。

いのちはないか
空に向う
いのちはないか
あの水たまりの にごった水が
空を うつそうとする
ささやかな
けれどもいちずないのちはないのか





高野喜久雄「海」[2021年01月08日(Fri)]

田三郎(1913-2000)に混声合唱組曲『水のいのち』という名曲がある(1964年)。高野喜久雄(1927-2006)の詩に作曲したもので、楽譜も入手しやすい。

◆組曲は「雨」「水たまり」「川」「海」「海よ」の5曲から成り、題名順通り、水がいのちを育み海へと注ぎ込む大いなる旅として構成されている。その第4曲となった「海」を写しておく。



海  高野喜久雄


空を うつそうとして
波ひとつ無く 凪ぐこともある
岩と 混じれなくて
ひねもす たけり狂うこともある

しかし すべての川はみな
そなたを指して 常に流れた
底に 沈むべきものは沈め
空に 返すべきものは空に返した

人でさえ 行けなくなれば
そなたを 指して行く
そなたの中の 一人の母を指してゆく
そして そなたは
時経てから 充ち足りた死を
そっと 岸辺にうち上げる
見なさい
これを見なさい と言いたげに


現代詩文庫『高野喜久雄詩集』(思潮社、1971年)より。


東京混声合唱団が歌ったCD(松井慶太指揮 2011年録音)収録の詞と現代詩文庫の『高野喜久雄詩集』を並べて見たら、「水たまり」や「川」では大幅に手が入れられている。経緯については審らかにしないが、作曲者の意を受けた詩人自身の手による改稿と想像する。



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