〈友人とは、おなじ場所、おなじ季節を、ずっと共にするもののことである。〉[2020年11月15日(Sun)]
◆昨日の長田弘の詩集『詩の樹の下で』の掉尾「虹の木」、その一つ前の詩を味わう。
大相撲、結びの一番の一つ手前、言わば大関同士の取り組みに相当する詩である。
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老人の木と小さな神 長田弘
村外れに、一本の大きな老人の木があった。
古い古い大きな柿の木だ。古い古い大きな柿の木の傍らには、古い古い小さな祠(ほこら)があった。古い古い小さな祠は、小さな神の小さな家だった。
ある日、古い古い大きな柿の木が、古い小さな家の小さな神に言った。きみの声はいつも聴こえるのに、わたしは、きみのすがたを一度も見たことがない。
古い古い大きな柿の木の傍らで、小さな神の小さな声がした。あなたは誰にも見える大きなすがたをしているけれど、わたしはすがたをもっていない。
大きなすがたをもつ柿の木と、すがたをもたない小さな神は、古い古い友人だった。友人とは、おなじ場所、おなじ季節を、ずっと共にするもののことである。
遠くから見ると、古い古い大きな柿の木と、小さな神の住む古い小さな家は、ずっとそこに身じろぎしないで立っている、とても大きな人ととても小さな人のようだった。
五百年生きてきてわかった、と古い古い大きな柿の木は、すがたをもたない小さな神に言った。歴史というのは激情じゃないんだ。見えない小さな神の微笑む声がした。ふふふ。
存在がそのまま叡智であるような閑かさがあるのだと思う。古い古い大きな柿の木は、春には新しい葉を、夏には緑の影を、秋には赤く色づく実を、冬には雪飾りを着けた。
*長田弘『詩の樹の下で』(みすず書房、2011年)より
◆〈友人とは、おなじ場所、おなじ季節を、ずっと共にするもののことである。〉という詩句が魂の深いところに刻み込まれた。
2020年11月15日の夕、T氏・I氏・我の旧友三人が再会、一夕の歓を尽くす時を得て、共に大船にて酒酌み交わし黄金の時を過ごせる記念に、この詩「老人の木と小さな神」を捧げて、われらの新たな「黄金の秋」を言祝ぐ徴(しるし)とする。
友よ、いま三たびおのがじし翼を固め、旅立とう!
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