
「時間」の小さなうすい耳[2020年10月29日(Thu)]
鎮魂歌 吉野弘
死ぬことを強いる時間は
生きることを強いる横顔を持ち
タクトをとって休みなく
秋のあまたの虫たちを残酷なほど歌わせる。
さりげなく
歌の糸玉をころがし乍(なが)ら、糸を
次第に剝ぎとり捲きとってゆく
見えない手のように。
けれど、秋の虫たちは
歌を奪われるのではなく、まして
強いられて歌うのではなく
みずから求めて歌うかのごとく白熱し
強いられぬ唯一のものが歌
であるかのごとく声を高め、それを時間の
肉のうすい小さな耳にも聞かせようとして
倦むことを知らない。
小池昌代 編『吉野弘詩集』(岩波文庫、2019年)より
◆「時間」が顔を持っていて、その横顔は「生きることを強いる」、と書いてある。
仏の顔と違って、赦しや救済ではなくて、生きることをも「強いる」顔なのだという点が切ない。
読み手のこちらには時間の顔など想像もつかず、手や肩のあたりまでは想像できそうな気もするが、顔のあたりは輪郭も目鼻立ちも全く霧に包まれているように思える。
ところがこの詩人の眼にはそれがハッキリ見えているようなのだ。
あたかも虫たちのオーケストラを率いる指揮者の顔を写すカメラのように。
意外なのは、振られるタクトの間近に「肉のうすい小さな耳」があること。
赤ずきんちゃんではないけれど、「どうして肉のうすい小さなお耳なの?」と訊いてみたくなる。