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シンボルスカ「決算のエレジー」[2020年10月14日(Wed)]

決算のエレジー   ヴィスワヴァ・シンボルスカ
                沼野充義・訳

わたしが知っていた
(もしも本当に知っていたとして)
男たち、女たち
(もしも男女に分けることがいまだに有効だとして)
そのうちの何人があの敷居をまたぎ
(あれが敷居だとして)
あの橋を駆け抜けていったのか
(あれを橋と呼ぶとして)――

人生には長いものも短いものもあり
(生きた当人にとってやはりその違いに意味があるとして)
始まったからには良いものだし
終わってしまった以上は悪いもの
(人々が逆のことを言いたいのではないとして)
その人生を終えて何人が向こう岸に辿りついたのか
(もしも辿りついたとして
そして向こう岸が存在するとして)――

あの人たちのその先の運命について
わたしは確信が持てない
(たとえそれが一つの共通の運命だとして
そもそもまだ運命があるとして)――

すべては
(もしもこの言葉で物事を限定しすぎないとして)
あの人たちの後ろにある
(もしも前ではないとして)――

あのうちの何人が疾走する時から飛び出し
遠くのほうに、ますます哀しげに消えていくのか
(もしも遠近法が信じるに値するとして)――

何人が
(もしもこの問いに意味があり
もしも数える人が自分を勘定に入れる前に
最終的な決算に辿りつくことができるとして
あのいちばん深い眠りに沈んだのか
(あれ以上深い眠りがないとして)

さようなら
また明日
また会うときまで
もうあの人たちはそんな言葉を繰り返したくない
(繰り返したくないとして)
あの人たちは果てしない沈黙に身をゆだね
(そのほかの種類の沈黙ではないとして)
不在に強いられたことに
(もしもかまけているだけだとして)
ひたすらかまけている


*『終わりと始まり』沼野充義・訳(未知谷、1997年)より。


◆すべての詩行に留保がつけられている。
述べた言葉が「一般に想定されている前提の上に成り立つとして」といちいち断り書きをしなければならないのは、その前提が成り立たない重大な事件が「わたし」を襲ったこと(あるいは今まさにそれを閲しつつあり、おそらくはこの先も起こり得ると観念せざるをえないこと)を意味する。

◆「敷居・橋」を跨ぎ越してたどり着いた「向こう岸」「深い眠り」「果てしない沈黙」が意味するのが「死」であることは明らかだろう。
最後の3行が難しい。「あの人たち」は「不在(の状態であり続けるよう)に強いられた」と解しておく。
そのように強いられたことに「ひたすらかまけている」ように見えるのは、未だ「わたし」が橋の手前に居て、「あの人たち」の列に加わっては居ないからに過ぎない。

「わたし」が見舞われた重大な事件とは、暴力的なやりかたによる理不尽な死だ。(戦争による死がその典型だ。)
無論、そこに至るべく周到かつ執念深く加えられた圧力、それによって人間的なつながりが分断され、営々と築かれた諸制度が破壊・放棄される過程には、意欲の消耗や精神的・肉体的疲弊のあらゆる態様がある。
それらを含めた「決算」ができるのかというと、「わたし」もそこに算入されずにはいない以上、厳密には不可能な話。圧力や非道な扱いに抗うことを全くしないのなら話は別だが。
その場合、生のこちら岸にいるはずの「わたし」も事実上「不在」であるに等しいことになる。

◆現在の学術会議任命拒否問題もまた、そのプロセスの一つとして考えられるだろう。

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