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平田俊子「手洗い励行」[2020年10月04日(Sun)]


手洗い励行  平田俊子


外から帰って手を洗う
ずっと部屋にいて手を洗う

肉を洗うついでに手を洗う
お茶を洗うついでに手を洗う

髪を洗う前に手を洗う
手を洗う前に手を洗う

風が吹いてきた 手を洗う(風で)
雨が降ってきた 手を洗う(雨で)

人に会う前 手を洗う
会ったあとにも 手を洗う

ろうそくの火で手を洗う
吹き消したあとの闇で手を洗う

そで口をぬらし手を洗う
手がぬれるのもかまわず手を洗う

夜寝る前に手を洗う
夢のなかでさらに手を洗う

手を洗う 誰かを思い出す前に
手を洗う 誰かを思い出したあとに
するとたちまち忘れてしまう

蛇口から出るのは熱湯または
冷たすぎる水
水ぶくれができる
しもやけができる
それでもかまわず手を洗う

手を洗う 感情線を鎮めるために
手を洗う 運命線を乱すために

手を洗う 自分を確かめるために
手を洗う 自分を消すために



『現代詩手帖』2020年8月号 思潮社
特集《現代詩アンソロジー 2000-2009》
より
蜂飼耳の選による2007年の詩作品として


◆「手を洗う」という日常の行為。
それがかくも繰り返されれば、神経症かと危ぶむ。
だが単なる日常の再現でないことは、2行目にして早々に示される。
「ずっと部屋にいて手を洗う」とは、どういう情景なのか、たちまち分からなくなる。

ドアを開けて迎え入れられた部屋が、入ってすぐ、普通の部屋ではないことに気づかされるようなものだ。

2連目もそう。
「肉を洗うついでに手を洗う」。――〈肉を触ったあとに〉ではない。
では料理という日々の営みにおいて、肉を洗うことが一般的だろうか?日本では余りなさそうに思うのだが。
仮にこれが、ある料理の手順の一つだったとしたところで、次の行で再び奇妙な所作に出くわす。
「お茶を洗う」――これは一体何をしているのだ?

3連目もしかり。
「髪を洗う前に手を洗う」――これって、この人だけの儀式みたいなこと?
続く行で疑問は最初のピークに達する――「手を洗う前に手を洗う」――最初の「手を洗う」とそのあとの「手を洗う」は同じことなの? それとも同じに見えて実は異なる意味があるの?

かくて読み手は雪だるま式に大きくなる疑問に絡め取られてゆく。

フッと肩すかしを食わされたり、宙に投げ出されるような仕掛けも待ち受けている。
――次の「風が吹いてきた 手を洗う(風で)」という一行など、ふわっと空気投げを喰らい、だが柔道着の襟と袖はしっかり摑まれているような浮遊感を体験させられる。

以下の各連にも次々と技が仕掛けられて読者は翻弄されざるを得ない。
なぜだ?どこまで連れてゆくのだ、と問うヒマもないほどだ。

***

◆最終連には「手を洗う」目的の一つが自分を確認することだ、と精神分析家を安堵させるような一句を示しながら、すぐあとに「自分を消すために」と締めくくって驚愕させる。
目の前にいたはずの対手の姿が急に見えなくなった、と思った瞬間、こちらの体は完全に裏返されて「一本」取られている。

◆コロナ禍の今この詩に出会うと、この先も続く「手洗い励行」と「マスク着用」の新生活様式が、我とわが身を消し去るための涙ぐましい「努力」であったかと思わせられる。
誰もがこれを習慣化し、思考様式までそれに沿わせた社会とはどのようなものか?

――宙に泳がされる目で辛うじてとらえたのは、社会から放り出された者たちの残像が光ったり陰ったりしながら陽炎の中に溶けてゆくスローモーション映像であった。


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