1910年9月29日の漱石[2020年09月29日(Tue)]
ヒガンバナ。
今年は田んぼの上の土手にずいぶん増えた。足をとめてレンズを向ける人も多い。
土手では朝から草刈りをしていたが、夕方同じところを通ると、ヒガンバナだけ残してあった。
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無題 明治43年9月29日 夏目漱石
仰臥人如啞
默然見大空
大空雲不動
終日杳相同
仰臥して 人啞(おし)の如く
默然として 大空(たいくう)を見る
大空 雲動かず
終日 杳(はる)かに相い同じ
*吉川幸次郎『漱石詩注』(岩波新書、1967年。のち岩波文庫)より。
訓読も同書に拠った。
◆先日の記事と同じく、明治43年、いわゆる修善寺大患のひと月あまり、前回の「風流人未死……」から4日のちの詩だ。
掛け軸だったか、写真でだったか、漱石の書でこれを見た記憶があり、写真は図録に載っていた気もして探したが果たせなかった。
漱石展で、これとは別の漢詩を条幅にしたためた墨跡を目で追ううちに、筆を執る漱石の気息のようなものを感じたことが一度だけある(横浜の近代文学館)。
そうした感応がそうそう訪れるものでもないけれど。
◆四日前の詩と同じく「人」は病床のわが身。黙って空を見つめることが、今できることのほとんどすべてだ。
◆結句の「相い同じ」とは、漱石自身の回想「思ひ出す事など」の記述をふまえた吉川幸次郎によれば「大空」と漱石の「心」とが〈ぴたりと合つた〉*ことを表し、その〈縹渺とでも形容して可い気分〉**を「杳」によって表したとする。
*および**、ともに「思ひ出す事」にある漱石の表現。
◆「縹渺(ひょうびょう)」とは広く限りないさまを言う。「杳」もまた、はるかに遠い、あるいは深く広い、などの意味を持つ。「杳」は字の成り立ちからして木の向こう、あるいは木の生えた大地の下、すなわち地平線の向こうに日が没して薄暗くなるイメージだろう。だが、ここでは木々も人声もすべて消え去って、ただ空と我があるばかりだ。
大空にもわが心にも何もなく、ただその色と陰影を変じて行くのみ。
【9月25日の記事】漱石〈清閑を領す〉
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