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淵上毛銭「背中」[2020年07月17日(Fri)]

DSCN3879.JPG
自転車の荷台にいたカエル、レンズを近づけたら厄介を避けて姿を消した。
どこへ行ったかと探したら、下のスポークに飛び移っていた。
目にも留まらぬ早業というほかなく、さぞ鮮やかな身のこなしだっただろう、と想像するばかり。

*******

背中    淵上毛銭

人間は
あつといふ間に
過去をつくつてしまふやうに
出来てゐる

おゝ懐しい背中よと
世間には一切お構ひなしで
背中が生きてゐる限り
過去も間違ひなく
安心してついてくる

ついて来て呉れるので
人間も安心なんだ
やはり人間いつも達者で
背中のことなど
忘れてゐたい

いつも
すぐそこにある背中だが
おいそれと見ることのできない
さびしさよ


『昭和詩集(一)』(新潮社・日本詩人全集33、1969年)より。

◆淵上毛銭(ふちがみもうせん 1915-1950)は熊本剣水俣市陣内に生まれた人。
脊椎カリエスを病み、長く病牀にあったという。

◆結句、「さびしさよ」と手放しに嘆くことは、今日では流行らないやり方だろう。
自分では見ることのできない背中を、読者には恥じずに見せているようでいて、実はその背中で演じているような感じがつきまとうからである。
もっとも作者はそのことを隠さない。冒頭に「過去をつくつてしまふ」と書いてあるとおり、わが背中が引きつれている過去を見ようとする者に対しては、月の裏側のように同じ面を「作って」見せることが常である。それは過ぎたことだから、生きている限りどのようにも作ることができる。
だが、その反対側、未来の方はそうは行かない。
作者のように病を抱えているのでなくても、人間、先のことなど分からないからである。


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