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雨宮処凛と相模原やまゆり園事件[2020年07月16日(Thu)]

DSCN3876.JPG

◆相模原のやまゆり園事件から4年を迎える7月、雨宮処凛による『相模原事件裁判傍聴記』が出版されるという。

《マガジン9》の「雨宮処凛がゆく!」にも記事がアップされた。
『生きる意味・価値を問うという傲慢〜『谷間の生霊たち』と相模原事件・傍聴記。の巻
https://maga9.jp/200714-1/

◆雨宮は「無条件の生存の肯定」が当たり前になる社会を目指してワーキングプアの問題に深くコミットしてきた。
上の記事で、雨宮は障害者運動に詳しい荒井裕樹(二松学舎大学准教授)と対談し、荒井の次の言葉を紹介している。

相模原事件の植松聖・死刑囚が突きつけた「障害者に生きる意味なんてあるの?」いうフレーズについてだ。

【荒井】
「これって、論理的にものすごく卑怯な言い方なんですね。どういうことかって言うと、『障害者に生きる意味なんてあるの?』という言葉に反論しようとすると、反論する側に『障害者の生きる意味』を立証する責任が出てきてしまうんですよね。それって、ずるくないですか。この問いを突き付けられること自体が暴力なんだっていうことを言ってかなきゃだめな話なんですよね」

「だから、その問い自体が差別であり、暴力なんだと、根本的なところから訴えていかなきゃいけないんだろうなと思います」


◆「生きる意味があるのか?」と問われてたじろぐ人は少なからずいるはずだが、たいていは、それをかわして(=自分に直接向けられた問いではない、とみなすことで)日々を生きて行く。ただし、苦いものが口中に広がった感じを抱えながら。

一方で苦さで済まない震えを感じ続ける者もいる。のど元にじかに刃物を押し当てられたのはほかならぬ自分だと感じる人々だ。
恐怖は「生きる意味なんてあるの?」と差別と暴力にさらされたことから来る。
この言葉は問いの形をとりながら、相手は答えることができないことを承知で発せられた問い詰めにほかならない。障がい者を痛めつけ追い詰めるナイフである。

◆雨宮は死刑制度についても次のように記す。

……植松は、「お前の生に価値はない」と勝手に決めつけた。それだけでなく、実際に、命を奪った。書きながら、改めて、そのことへの深い深い怒りに震えている。そんな植松に、司法は「お前こそ生きている価値はない」と死刑判決を下した。「障害者はいらない」と殺した植松に「お前こそいらない」と極刑が下される。そうして裁判は終わったが、そのことに強烈な違和感を抱いているのは私だけではないだろう。

死刑は当然、と考えて幕引きを済ます者は、ナイフはわが喉もとに向けられてはいないと根拠のない確信で枕を高くして眠ることができる、ということだろう。すなわち恐れる人間の存在は視野から消えて、悲劇は再びどこかで、さまざまにヴァリエーションとして繰り返されるだろう。


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