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玉城デニー知事の平和宣言[2020年06月24日(Wed)]

22期沖縄92528 130.jpg
沖縄・伊江島遠望


◆昨日の沖縄慰霊の日の玉城デニー県知事による平和宣言を動画で視聴した。
気になった点が2つある。
小さなことだが、宣言は世界と後世に向けた平和メッセージなので、今朝の新聞に掲載されたものを確認した上で書いておく。

◆一つは宣言の結びで用いた「全てのみ霊に心から哀悼の誠をささげる」という表現だ。

かねてヒロシマ・ナガサキでの平和祈念式典でアベ首相が用い、稲田元防衛大臣ら、靖国参拝を敢行する輩が好んで用いてきたことばである。
アベ首相は今回も沖縄でのあいさつにこの表現を用いた。

「哀悼の誠」という言い回しは、これら日本会議議員連盟に名を連ね、ことあるごとに靖国神社に参殿・奉納を行って来た政治家たちの常套句となっている。
「哀悼の意」「哀悼の思い」という簡明な表現があるのに、あえて「誠」という言葉を継ぎ足して己の至誠を証し立てようとする意図がある。その至誠は、失われた無辜の命よりは、彼らが身命を捧げた国家に対する至誠であろう。
そうした意味合いを帯び、かつ今や手垢にまみれた言葉を、沖縄県民を代表する玉城デニー知事が用いることへの違和感がある。

◆以前にも書いたことだが、「誠」は神道色の濃いことばである。
また「まこと」の本義は「〈真〉の〈事・言〉」である。
真心があり、言行が一致していることを意味するこの言葉は、誠意をもって行動する人物への他者からの評として与えられるのが本来であろう。
衆目の見るところ、その「誠」から最も遠い言行不一致宰相がこれを用いるのは烏滸(おこ)の沙汰というほかないが、沖縄県知事までそれに倣う必要は全くない。

参考記事
食言の徒による70年談話 2015年8月14日】
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/162

こちら側だけの「和解」 2016年12月29日】
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/397


◆もう一つは、宣言文末尾の日付けである。
「令和2年6月23日」と元号を用いたことだ。

知事の公式ホームページにはこれまで折に触れて行ったスピーチがアップされているが、いずれも日付けは元号であった。

今回の平和宣言で玉城知事は、冒頭、〈平和を希求する「沖縄のこころ・チムグクル」を世界に発信し、共有することを呼びかけます。〉と述べた。「チムグクル(肝心)」すなわち「心からの思いやりの心」を世界の人びととともに共有したい、と呼びかけたのである。
これと首尾呼応させるように、宣言文はウチナーグチ(沖縄のことば)と英語によって、未来の人類の平和と幸福のために祈る、と結んだ。
であればこそ戦後75年の1刻みを加えるには西暦を用いて宣言を締めくくることこそふさわしかったのではないか。



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