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〈余り1〉[2020年04月14日(Tue)]


割る   寺山富三

割り切れない年ごろってのはあるもんで
7。11。13。17。
割り切れないからどうしようもない。
ぼくはどうしてだか半分。
2で割ることにこだわるほうで。
7。9。11。13。15。17。
どんどん、割り切れない年ごろが増えてきちまう。
たとえば、13才のぼく。

 13÷2=6余り1

この〈余り1〉ってのがやっかいなんだ。
なに。
コレ?
そりゃまあ。どうだっていいことではあるんだけれど。
割り切れないと同時に。
答えを欲しがる年ごろでもあるわけなんだよな。
この〈余り1〉を余りだからって無視するか。
それとも自分のものとして活かしていくか。
大問題なんだよ。

「公式じゃ人間なんて解けないよ」

ありがとう。
その通りさ。
それはわかってるつもり。
でも……



寺山富三『ぼくと時計の時差について』(ぶんけい、1995年)所収。
木坂涼/水内喜久雄 編著『いま中学生に贈りたい70の詩』(たんぽぽ出版、2001年)に拠った。

◆自分の年を数えることは、他人との関係で確認しようと思うときぐらいだろうと思う。
たとえば親が亡くなった年齢まであといくつだろう? とか、小学校に上がったとき、母親は何歳だったろう? とか。
あるいは、作家Aが所帯を持ったのは〇〇歳か。そのころの自分は何をしていたんだっけ? とか。

◆この詩に登場する「ぼく」は「割り切る」分別を受け入れる大人の入り口に立ちながら、「割り切れない」何かが人間にはあるゾ、と考え始めている。
一たんそう思い始めた人間は、たぶん幾つになっても、その「割り切れない何か」を求めているだろう。
達観や悟得になずむことないまま、最期の日まで「でも……」とつぶやくだろう。
「でも……」の後に何をつぶやくかは人それぞれで、その泡のようなつぶやきが、彼が自分で付け加えた、他の誰とも違う風に、前へと踏みだした一歩、ということなんだろう。





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