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卑劣な言い訳はまっぴらご免だ[2019年12月03日(Tue)]

◆「桜を見る会」招待者名簿をシュレッダーした時期のつじつま合わせに障がい者が持ち出された。12月2日参院本会議でのアベ首相の答弁である。
その場しのぎのウソを塗り重ねた挙げ句、とうとう「障がい者」を楯にする作戦に及んだわけである。「障がい者」を矢面に立てて時間を稼ぎ、自らは次の策を練っている、ということだ。

◆作文してもらった答弁書で読み上げた内容は以下の通り――

〈シュレッダーの空き状況や、担当である障がい者雇用の短時間勤務職員の勤務時間等との調整をおこなった結果、使用予定日が5月9日となった〉

いやはやである。SNS上で非難ごうごうであるのは当然だ。
この答弁の問題点はいくつもある。

◆一つには、業務をする人間の属性を理由として挙げる必然性は全くないのに、敢えて「障がい」を持ち出したことだ。
実際に裁断業務を行った人がいたとして、その人自身への顧慮が何一つない。
内閣府で働く人たちはたくさんいるだろうが、仕事内容が何であれ、内閣府として行った仕事であることに変わりはない。障がい者を含めた組織体であるはずを、わざわざこうした重要な説明に持ち出すのは差別意識があるからだろう。雇ってやっているのだ、という上から目線。
答弁のダシに使われても文句など言わないはず、とタカをくくっている。

「桜を見る会」参加者については「個人情報に当たるので」という理由で頑なに秘匿の態度であるのに、業務遂行者についてはかばう姿勢がないために、障がい者であるというその人の属性を公言して恥じない。

◆さまざまな職場で懸命に働いている人たちの受け止めもSNSでつぶやかれている。
やっぱりそういう目で見ていたのか、勤務時間の制約など障がい者は面倒くさい存在とみなされてしまうのはしんどい……などなど。

◆鼻持ちならないのは、「障がい者」という文字を水戸黄門の印籠のように使ったことだ。
これを突き出せば手も足も出ないだろう、という打算がある。
国会やメディアの追及を押さえ込もうという下心が見え見えではないか。
「障がい者」の威を借りる狡猾な狐が猖獗を極めているという図である。

◆仮にメディアが、シュレッダー業務を実際に行った人を特定しようとしても、「障がい者」「個人情報」という煙幕で隠し通すことは可能だと踏んでもいるだろう。
また、仮にその人物が特定された時でも、立場が弱い者にはいくらでもアメ・ムチが効くとすら考えているだろう(モリカケ問題を見よ)。 

◆それにしても、冒頭に示した首相答弁、「勤務時間との調整をおこなった結果」とある。「等」や「結果」は言い逃れるためのボカシの手法のほか、「調整」という用語で責任は業務監督者止まりで済むように目論むなど、言い抜ける手立てを幾つも入れ込んだ作文である。
だが、これで時間稼ぎができると考えているなら大甘だ。
主権者は、「障がい者に責任を押しつけた」と受けとめ、批判のこえをあげている。それがまともな神経の働かせ方である。

官邸の主も茶坊主どもも、ちゃんとした仕事にアタマを使わんかい。



槐多〈鳴浜九十九里〉とカミーユ・クローデル〈少女と鳩〉[2019年12月03日(Tue)]

村山槐多の風景画〈鳴浜九十九里〉を見てなぜか、カミーユ・クローデル〈少女と鳩〉を連想した。

カミーユ・クローデル「少女と鳩」.png
カミーユ・クローデル「少女と鳩」1898年

ともに浜辺の光景だということと、茶褐色の地面の印象が共鳴したように思える。

村山槐多「鳴浜九十九里」1918年-A.png
村山槐多「鳴浜九十九里」1918年(再掲)

◆あと、木々の塊のような黒い影が横に伸びるカミーユに対し、槐多の絵では黒い岩礁が同じように中景に置かれていることも共通するが、画面の中における働きは異なる。

黒い影が画面を引き締めているカミーユに対して、槐多の岩礁の黒はそれに寄せる白い波とともに水平方向に幾重にも繰り返すリズムを生んでいる。

◆最も違うのは、カミーユの絵の中心にあるのは横たわる少女とその周りに群れている鳩であるのに対して、槐多にあっては2グループの人物群が描かれていることだ。
前者は鳩の羽ばたきの「動」によって少女の「静」=眠りもしくは死、を強調するように描いてあり(それはロダンとの間に得べかりしわが子のイメージを付与されているかも知れないと以前書いた)。

◆一方、槐多にあっては、右側に座っている2人か3人か判然としない人物たちは、海を眺めるではなく何ごとか親密に語らっているようであり、左の人物群はこれと対照的に、立ち姿の人物が座っている人物に話しかけているところのように見える。
仔細に見ると、立っている人物の背中の白い部分は、後ろ手に背負われた子どもであるように見えてくる。
2グループとも極めてざっくりとした描き方ながら、それぞれの会話が聞こえて来そうな情景になっている。画面の人間たちのすぐそばに画家は居るということである。画家の視点は低い。

一方、カミーユにあっては画家の背丈よりも高い所から少女を見下ろして居る。
暗示性の強い幻想の場面ということになる。

瞥見した印象が似かようと思った二つの絵だが、それぞれの世界の観方が違うことがわかって来て面白い。

★【参照:2017年11月28日の記事】
カミーユ・クローデルとロダン
https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/695

引用図像:
「カミーユ・クローデル」展図録(1987年)
村松和明『もっと知りたい 村山槐多 生涯と作品』(東京美術、2019年)



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