金井直「枝」[2019年11月04日(Mon)]
横浜中区の日本大通(にほんおおどおり)にはイチョウの樹が多い。枝を離れた実がずいぶん横たわっていた。街中では拾う人もあまりいないのだろう。
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枝 金井直
そこに 曲った
枝が在ると思うか
その枝が見えると思うか
その枝から一羽の小鳥が
飛立つと思うか
その小鳥が見えると思うか
見えない枝が無く
見える枝が在ると思うか
枝が見えるとはどういうことか
枝が無いとはどういうことか
枝が在るとはどういうことか
無いと思う場所に枝があるとは思わぬか
見えない空間に枝が在るとは思わぬか
見えていて見えず
見えなくて見えると
そこに 曲った
枝が在ると思うか
小海永二・編『現代の名詩』(大和書房、1985年)より
◆「思うか」あるいは「思わぬか」――問いはことごとく自分に向かって厳しく発せられている。
自分が見ているものは本当に見えているのか。
ここでは「見える」とは「思う」ことと同一であり、自分にどう感覚され認識されているかを己の内からも外からも問い質しているのである。
◆ここでは「見る」ことを問題にしているのではない。「見る」ことは主体の意思の働きであるから統御できる範疇のことであるのに対し、「見える」は、本当に実在に触れて感覚しているのか、違うのではないかと、「思うこと」の根源とその広がりの双方を問い続けてやまないのである。