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プリーモ・レーヴィ「ある橋」[2019年08月09日(Fri)]

ある橋   プリーモ・レーヴィ

これは他の橋とは違う、
何世紀も積雪に耐え、
水を飲み、牧草を食みに行く羊の群れや、
ほかの場所に行くお祭り騒ぎの人々を通す橋とは。
これはまったく違った橋だ、
もしおまえが橋を半分歩いて立ち止まり、
下までの高さを測って、明日生きることに意味があるか
自問するなら、それを喜ぶのだ。
それは耳をふさいで生きていて、
心に平安はない、
それはたぶんその支柱のくぼみから
語り得ない昔の魔法が
毒としてゆっくりしみ出しているからだ。
さもなくば、徹夜の夜に語られるように、
ある邪悪な取り決めの産物であるからだ。
だからここでは水の流れが
橋脚を穏やかに映し出すのは見られない、
見えるのはただ波と、風にあおられた寄せ波と、渦巻きだけだ。
それゆえそれは自分自身をやすりにかけて砂にし、
石材をせめぎ合わせてきしませ、
両岸を強く、強く、強く圧迫し、
大地の外皮を割ってしまうのだ。
        1982年11月25日


*『プリーモ・レーヴィ全詩集 予期せぬ時に』より
  (竹山博英=訳、岩波書店、2019年)

◆どこかへ渡っていくためではなく、ふたつの岸をつなぐための「橋」とは何だろうか?

橋の下に見えるのは「ただ波と、風にあおられた寄せ波と、渦巻きだけ」、すなわち平穏や静寂とは無縁な、風に波立ち、しばしば逆巻く荒波だけである。
波が激しいほどに橋は「自分自身をやすりにかけて」(!!)両岸をひたすら強く圧迫していく。
ひとえにそれは、橋を渡る者のためだ。
橋の喜びとはただ一つ、自分の上を渡って来て橋の半らで立ち止まり、明日生きることの意味を自らに問う者がいることだ。

◆「明日生きること」とはすなわち「希望」の別名であろう。
「橋」がそれを与えてやることはできない。
橋をわたる者が「希望」を見失わずに渡りおおせるよう、わが身を捧げて踏ん張ること、それがこの橋の使命でありただ一つの存在理由だ。

この橋は過去と未来との間に架かっている。
東海の、国を異にする島と島との間にも架かっている。
大洋をへだてた陸と陸との間にも架かっている。

さてわたしは「橋」なのか、それとも橋を渡る者なのか?




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