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パウル・ツェラン〈世界、ぼくたちのほうへ〉[2019年03月15日(Fri)]

DSCN0252-A.jpg

◆厚木飛行場に向かう飛行機が境川を目印に飛ぶことが増えた。
先日、上の様に2機が接近して見え、肝を冷やした。

航跡はクロスしたが、立体交差のごとく飛ぶ方向も高度も違っていたようで、無事ではあった。
ニアミスというものではなかったろうか?

*******

(世界、ぼくたちのほうへ) パウル・ツェラン

世界、ぼくたちのほうへ
空っぽの時刻のなかへ踏み込んで――

二つの
木の幹が、黒々と、
枝分かれもせず、
節もなく、ジェット機の航跡のなかに、縁がぎざぎざの、あの
一枚の弧-
立している高みの葉。

ぼくたちもまたここに、空虚のなかに、
旗の傍らに立っている。


『言葉の格子』(1959年)所収の一篇。
中村朝子・訳『改訂新版 パウル・ツェラン全詩集T』(青土社、2012年)より。

◆「ぼくたち」が世界へ踏み出して行くのでなく、世界のほうがこちらに踏み込んでくる。
こちらにあるのは「空っぽの時刻」すなわち「空虚」である(「無」ではないことに留意しよう)。
空虚を形づくっているのは「ぼくたち」の他に無機的な二つの木。
その高みに、ぎざぎざの「弧」線をくっきりと示しながら一枚の葉がある。
それは「空虚」の象徴であるようだ。
それが吹き飛ばされるのか千切れてしまうのか、ある覚悟をもって見上げている「ぼくたち」。
しかしその「空虚」の側から、何と「もの」たちは鮮明に見えることか。

「象徴」を見上げながら「旗」の傍らに立つ――60年後の現在の私たちのようではないか?


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