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〈象徴〉について[2019年02月07日(Thu)]

【お知らせ】

〈 2019年 教育の自由を求める学習会 〉

大川隆司 弁護士 講演会

自民党改憲案の真のねらいと思想・良心の自由
 〜改憲4項目と「日の丸・君が代」強制の問題を中心に〜


と き 2019年3月2日(土) 14:00〜16:30
ところ かながわ県民センター 604号室(横浜駅5分)

・「戦争する国」になるとはどういうことか?
・平和をつくり育てるために私たちに必要なことは? 

★自民改憲案の真の問題点を徹底的に明らかにします!!
★どなたでも参加できます。 (資料代500円)
主催:学校に「思想・良心の自由」を実現する会
*HPは⇒http://kokorofree.html.xdomain.jp/index.html

*******

◆日本国憲法憲法の前文に続く第一章(第1条〜8条)は〈天皇〉について書いてある。
残念ながら、ものを教わる立場の二十代はじめまで、これが最初に置かれていることの意味を誰かから教示された経験がない。
(法学をキチンと学んだ人を除いて大方そのようなものだろうけれど)

従って「主権在民(国民主権)」というのが日本国憲法の3大骨格の一つだということを繰り返し言われるたびに、(それなのにどうして条文の最初が天皇のことなの?)という疑問をくすぶらせ続けて来た。

今なら、そんな読み誤りをしないよう、最初に前文が重石のようにドンと置かれている、ということが分かるが、そうした組み立てになっていることも教わった記憶がない。

◆自分の不明を断然棚上げにして言うのだが、恐らく”不可侵”神話の呪縛が誰にもあって、第一章はスルーしてきたのだろう、と思う。

説明がないままに、学習者の胸中には、最初に書いてある条項は大事なことで、恐れ多くも赤線引いたり、ページをめくるためツバで湿らした指先でナゾったりしない方が良い条文、というイメージが出来上がってしまったのではないだろうか。

◆その意味で、「象徴」への己の処し方を述べた次の詩は貴重だ。


象 徴   柴田三吉

〈この地位は、主権の存在する国民の総意に基く〉

総意に基づいて一つの顔を描くならば
それは奇妙な表情を持つことになる
肯定と否定とに
無関心を溶かしてみれば
それは
あいまいな微笑を窮屈な輪郭に押し込んで
およそ人間がとりうる表情を逸脱するだろう

存在論的な解釈を試みるならば
それは全体のX%を欠落して
映像化されなければならない
思想は″厳密“を求めるが
それは生身の人間であることで
全体を装い続けてきた

私はわたしに属するなにかを
他の誰かが象徴するということに耐えない
私を構成する肉体
――色黒く中肉中背、乱視、毛深くはない
私を構成する精神
――明晰さに欠けるがいまも断崖を手離さない
それらすべては
私を離れて抽象されることはないだろう

私はそのものに対して人格を欲しない
私とその人はつながっていないのである
私とその人は一番遠い他人である
にもかかわらず
その人は私に対する差別を含んでいる

だからこそ
老人 ではなく制度よ
この国の風土をはさんで私は
その人の
なにごとをも象徴しないのだ


*日本現代詩文庫『柴田三吉詩集』(土曜美術社出版販売、1996年)より

◆「いまも断崖を手離さない」とはすさまじい覚悟の言葉である。
自分のことばで語る以上、常に断崖に立つ、という腹のくくり方を披瀝したと読めるが、もう一つ、グヮシッと岩をつかんだ手で断崖からの落下を、辛うじて食い止めているのだ、と述べているようにも読める。



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