動乱の世界に生身を賭ける[2018年10月27日(Sat)]
◆イスタンブールにあるサウジアラビア領事館でジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏が殺害されたとされる事件、田村驤の次のような詩を思い出させる。
沈める寺 田村 驤
全世界の人間が死の論証を求めている しかし誰一人として死を目撃したものはいないのだ ついに人間は幻影にすぎず 現実とはかかるものの最大公約数なのかもしれん 人間にとってかわって逆に全事物が問いはじめる 生について その存在について それが一個の椅子から発せられたにしても俺は恐れねばならぬ 現実とはかかるものの最小公倍数なのかもしれん ところで人間の運命に憂愁を感じ得ぬものがどうしてこの動乱の世界に生身を賭けることができるだろうか ときに天才も現われたが虚無を一層精緻なものとしただけであった 自明なるものも白昼の渦動を深めただけであった
彼はなにやら語りかけようとしたのかもしれない だが私は事実についてのみ書いておこう はじめに膝から折れるように地について彼は倒れた 駆けよってきた人たちのなかでちょうど私くらいの年ごろの青年が思わずこんな具合に呟いた「美しい顔だ それに悪いことに世界を花のごとく信じている!」
*『四千の日と夜』所収。
「田村驤齊刻W」(思潮社現代詩文庫、1968年)によった。
◆詩集『四千の日と夜』(1956年)は全編、死をテーマとしている。それも尋常の扱いを徹底的に拒否した「死」。敗戦時、田村驤黷ヘ23歳。戦争と人間の死は身近なものであったはずだが、そこから直接生まれた詩群ということはできない。
怒りを塗り込めた想念の楯を唯一の武器として世界の不条理を告発する。
◆次のようなことばを苦くかみしめるなら、生還したジャーナリストへの「自己責任」論など、笑止なものとしか思われない。60年以上前に、まるで21世紀の混迷を予告したかのような憤怒のことばたち。
〈 立棺 U 〉より
地上にはわれわれの国がない
地上にはわれわれの死に価いする国がない
わたしは地上の価値を知っている
わたしは地上の失われた価値を知っている
どこの国へ行ってみても
おまえたちの生が大いなるものに満たされたためしがない
未来の時まで刈りとられた麦
罠にかけられた獣たち またちいさな姉妹が
おまえたちの生から追い出されて
おまえたちのように亡命者になるのだ
地上にはわれわれの国がない
地上にはわれわれの生に価いする国がない
「立棺 U」より第5〜7連(同じく『四千の日と夜』より)