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はと[2018年09月01日(Sat)]

DSCN8252.JPG

境川土手の手すりに鳩が留まっていた。カメラを向けても逃げずにこちらを見て首から下は身じろぎもしない。よく見ると左脚に緑色の脚環がついている。
伝書鳩として飼われているのだろう。


みえない時計   神沢 利子

小犬をだいたら とくとく
小犬のむねが  とくとく
時計みたいに 鳴っていたよ
このとびはねる元気なやつのからだの中に
どんな時計が 在るのだろう

はとをだいたら とくとく
はとのむねが  とくとく
時計みたいに 鳴っていたよ
この羽毛につつまれた
ふっくら優しいからだの中に
どんな時計が 在るのだろう
ふっくら優しいからだの中に
どんな時計が 在るのだろう

かけっこするとき ひとりのとき
気がつけば いつも とくとく
時計みたいに 鳴っているよ
ぼくのむねの ほら ここのところに
いったいどんな時計が 在るのだろう

ああ だれがくれた時計なのか
この世に生きるものたちが
からだのなかにひとつずつ
大事にもっている みえない時計
その時計が きょうもまた
  空で 鳴ってる
  地で 鳴ってる
  水の中でも
       とくとくとく
みんなの「時間」をきざんでいる
自分の「時間」をきざんでいる
いまのいまの いのちの時間を――


神沢利子詩集「立たされた日の手紙」 (理論社、2008年)

◆神沢利子(かんざわとしこ 1924〜)は「くまの子ウーフ」などで知られる児童文学作家だが、幼少期、北海道や樺太で過ごした体験を持つ。
それゆえか、生きものを歌うにせよ花や海・空をよむにしろ、戸外で手で触れ全身で受けとめた命の拍動から言葉が生まれている、という感じがある。
そうした体験が詩になる、という事情なのだろう。
そのために、過去形で綴られた詩においてさえ、読者は、回想でなく今起きていることに立ち会っている、という感覚を味わうことになる。短章においてさえ物語をはらんでドラマになっている。

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