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卒業式まぢか「日の丸・君が代」学習会[2015年02月15日(Sun)]

卒業式をこどもたちに取りもどそう


《 学習会お知らせ 》

「日の丸・君が代」と戦後70年
  ……いま、歴史認識を問う 


とき:2月22日(日)14:00〜16:00
ところ:フォーラム南太田
◇(京浜急行線・南太田駅 徒歩3分 または 横浜市営地下鉄・吉野町駅 徒歩7分) 横浜市南区南太田1-7-20

*******

2015年は、第2次世界大戦が終結して70年目の歴史的節目の年になります。
ポーランド南部のオシフィエンチムでは、第2次世界大戦中にナチス・ドイツがユダヤ人など少なくとも110万人を虐殺したアウシュビッツ強制収容所が開放されてから70年となった1月27日、ドイツやフランスの大統領など50国の代表が出席し、二度とこの悲劇を起こさせない決意をこめた式典や集会が開かれました。
一方、日本では安倍政権によって憲法違反の「集団的自衛権」の閣議決定がなされ、戦後政治の羅針盤としてきた平和憲法を破壊する暴挙が企てられています。
いま、安倍政権は「戦争する国づくり」へ暴走を続け、すすんで戦争に行く従順な国民づくりのために、「教育再生」と称する教育改悪を政策の一つに位置付けています。
学校教育の様々な状況を情報交換し、歴史認識の改ざん、学校での「日の丸・君が代」の強制や教育への不当支配・介入の実態を明らかにし、教育の自由や平和主義の日本国憲法を守り・活かすとりくみなどについて考えたいと思います。 ぜひ、ご参加下さい。

フォーラム南太田 地図・交通案内

南太田フォーラム.jpg


◆◇◆◇◆◇◆

◆横浜の詩人・山田今次(いまじ)


 馬車道   山田今次

ばしゃみちしゃみち    しゃばしゃみち
馬車道車道  車馬車道

ばしゃみちしゃみち    しゃばしゃみち
馬車道車道  車馬車道 


しゃば
車馬。
まち
街。
じんりき
人力。
げんとうが
幻灯画。


ハイカラ
ドンタク
イエスノー


ばしゃみちしゃみち    しゃばしゃみち
馬車道車道  車馬車道

ばしゃみちしゃみち    しゃばしゃみち
馬車道車道  車馬車道 


*******

リズミカルで忘れ難い詩だ。
馬車道(横浜市中区)は、「あいすくりん」と称されたアイスクリームを初め、ガス灯、新聞、電信など文明開化を象徴するものたちが最も似つかわしいエリアだろう。

横浜に生まれた山田今次(1912〜98)は神奈川県立商工実習学校(現在の県立商工高等学校)の機械科を卒業した詩人。

*同校は1920年創立(弘明寺の近く、現在の南区大岡1-14-1に開校=現在は横浜市大岡地区センター)、というから今年創立95年を迎える。
開校間もなく関東大震災(1923=大正12年)で校舎が倒壊。校舎本館を再建するのに足かけ3年を要したが、山田今次少年が入学したのは実習施設も整備され充実期を迎えたころだ。
創立半世紀を経て商工は74年、保土ケ谷区今井町に移転して現在に至る。
(以上、同校沿革より)


山田今次は戦前から詩人として活動をスタート、草野心平の詩誌『歴程』同人・編集長として活躍した。
美術にも造詣深く、岡本太郎、國領経郎、斎藤義重らと親交を深め、64年、全国初の市民ギャラリーとしてスタートした横浜市民ギャラリーの初代館長として現代美術の新人を育てた。

*******

彼の詩でよく知られているのは次の詩だろう。
やはりリズムが際立つ詩だ。
この詩のたたきつける激しさはどこから来るのか。

 あめ   山田今次

あめ あめ あめ あめ
あめ あめ あめ あめ
あめは ぼくらを ざんざか たたく
ざんざか ざんざか
ざんざん ざかざか
あめは ざんざん ざかざか ざかざか
ほったてごやを ねらって たたく
ぼくらの くらしを びしびし たたく
さびが ざりざり はげてる やねを
やすむ ことなく しきりに たたく
ふる ふる ふる ふる
ふる ふる ふる ふる
あめは ざんざん ざかざん ざかざん
ざかざん ざかざん 
ざんざん ざかざか
つぎから つぎへと ざかざか ざかざか
みみにも むねにも しみこむ ほどに
ぼくらの くらしを かこんで たたく


*******

この詩が生まれたのは1947(昭和22)年。当時のくらしをふりかえった、彼の文章がある。

《ぼくが生活していた、昭和21年当時の横浜は、港の施設の90%、全市街地面積の27%が接収されていた。
市街地はその42%を焼失し、連日、兵士の訓練が行われ、そのあたりをカメラをさげてぶらつくとMP*に連行されたりもした。
橋なども接収されているところもあり、通行する市民は遠回りをしなければならなかった。
アメリカから運ばれた占領軍の物資は、港を埋めつくしていたが、市民の暮らしは苦しく、食物にも仕事にも容易にありつけなかった。その頃の家々は、半地下の壕か、掘立小屋であった。はげしい雨や風はこわいものの ひとつであった。
「あめ」は、このような焼け跡から生まれた。》

*******

「ざんざん ざかざん ざかざん
 ざかざん ざかざん 
 ざんざん ざかざか」

このたたきつける雨音にかぶさる軍靴の音。
皇軍から米軍へと主は変われど敗戦後もなお、鳴り止まず、ということか。

*MP:日本に進駐していた米軍の憲兵


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