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「みんなに非国民と言われるよ!」と……『ひめゆりの少女』より[2015年01月11日(Sun)]

『ひめゆりの少女』より(続)

宮城喜久子さんの上掲の本やNHK「戦争証言 アーカイブス」は、『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』に記されなかった話もたくさん述べられているが、同じ体験を語っていても与える印象において数段深まっていると感じる。

それは内面に降りてそこにあったものを確かめるように汲み上げて語っているからだと思う。
同じ井戸から汲み上げられる水なのに、より深いところから汲まれ、地上の空気に触れさせるような、と言ったらよいだろうか。

その一つを同書22p〈父の反対、母の涙を振り切って〉から紹介する。
1945(昭和20)年、1月22日に続く2月22日の空襲によってひめゆり学園は大部分が破壊され、生徒・先生・駐屯中の兵や軍属に死傷者が出た。
22日の夜、生徒たちは一時帰宅を命ぜられ、ついては、近く戦場に動員されることについて父母の許可をもらってくるように指示を受けた。

54kmもの距離を歩いて実家に辿り着いてみると、我が家はすでに焼かれていたものの、国民学校と青年学校の教師を兼務していた父をはじめ家族5人は無事避難していた。
小さな小屋で不自由ながら一家そろっての数日を過ごしたのち、両親に戦場動員の話を切り出す。
しかし両親の答えは思いがけないものだった。

*******

「近いうちに、南風原(はえばる)陸軍病院へ動員されます。どうか行かせてください」
私は父と母に改まって申し出ました。
父は青年学校では軍事教練を担当し、生徒たちに「国のために尽くす人になれ」と訓示していることを私は知っていました。
当然、喜んで送り出してくれるものと信じていた私に、返ってきたのは意外な答えでした。
父はそくざに、大声で怒鳴るように、こう言ったのです。
「十六歳で死なせるために、おまえを育てたんじゃないんだぞ!」

父のそばで、母も言いました。
「一高女の卒業証書はもういらないから、学校に戻らないでここに残って!」
母の目から涙がしたたり落ちていました。
しかし、その母に、私は言ったのです。
「お母さん、そんなことをしたら、みんなに非国民と言われるよ!」


*******

この時感じたものを、喜久子さんは「NHK戦争証言」で、次のように詳しく語っている。

*******

父を見て、何で、あの学校にいる、あの姿とはまるで違うと、本当に父の顔をまじまじと見ましたよ。
何を言ってるんだろうと。
そして更に、「女の子が戦場へ行くな」と言ったんです。
だって自分は、生徒には戦場に行きなさいと、そういう教育をしている教員ですよね。
とっても私、不信感を持ちましたね。

*NHK「戦争証言 アーカイブス」

*******

父への不信感をもたらし母を悲しませたもの、それは「教育」の名のもとに行われた洗脳によって植え付けられた、「非国民は恥だ」という絶対的な意識だ。
こうした「皇民化教育」が差別教育の別称に過ぎないことはいうまでもない。
「皇国の民」であることからはじかれる恐怖がその裏には貼り付いていて、それは野蛮や未開への優越感と一体のものだ。
であるからこそ、差別される側の人間が、現実にはその差別の仕組みを支える教育を受けてその体制を補強するために働くという矛盾を生きざるを得ないように仕向ける、
こう見てくると、現代のイジメのメカニズムと寸分違わぬことに驚く。
そうして、その事情に自覚的である人間ほど、省みて自分自身を恥じ、責める。
そうした苦さをかみしめて読むべきだろう。

宮城さんは「戦争証言」で次のように語る。

*******

やっぱり琉球の国の間はほんとにのんびりと自分たちで、自治も自分たちで、自治的な生活をしていたわけですよね。
それが明治の終りに日本に統一されて沖縄県になって、明治・大正・昭和と、その、なった途端に沖縄の人の民度が低いとか、それから方言を使って日本の人とは相いれないとか、いろんなことが目についたわけです。
それを結局、日本政府は早く同化させたい、本土の人たちと同じように。それで、立派な日本人になれと。
立派な日本人になるということは、結局、日本国民が尊敬、崇拝している天皇陛下、皇后陛下を大事にする、それから考え方も本土の人に負けないように、考え方に追いつくように勉強するとか、方言は相いれないからもう方言は使わないとか、そういったいろんな制約、その全てが皇民化教育じゃないですか。
それが結局は成功したというか、沖縄戦で花開いたわけですよね。
だから、そういう皇民化教育というのは単に1、2年やったんじゃなくて、明治大正昭和と長い期間をかけてやってますよね。

  *同じく「戦争証言 アーカイブス」より

*******

「皇民化教育」が沖縄戦で「花開いた」とは、実に複雑な言い方だ。

推し進めた側を加害者に対置して自らは被害者と規定しているのではない。

父は「皇民」を育てる立場にあり、教員になることを期待されてきた自分もその体制に自分を適応させて生きてきたはず。むしろ常人以上に強い使命感を養ってきたはずだ。
しかしそれは「立派な日本人」として身命を捧げること=「散華」することを自ら受け入れ、人にも求めることにほかならない。
そうした加害性への痛切な悔いと、同胞・沖縄人への痛ましさが、「花開いた」という言い方にこめられているだろう。

そうした複層の苦さが宮城さんの言葉にはある。

*******

ひめゆりの少女首里城にて_0007-B.jpg
『ひめゆりの少女』より、1941年首里城・歓会門前で寮の同室の人たちと。このうち8名が戦場動員され、5名が死亡した。前列中央、著者。

*******

◆だが、そうした複雑さを理解できない脳天気な本土人は、今また沖縄イジメを続けている。

翁長新知事への政府中枢・与党挙げての面会拒否、沖縄振興費削減、普天間基地の運用停止には知事の協力が必要(=辺野古基地建設容認に譲歩せよ)との菅官房長官発言(1/12)…侮辱的な圧力をかけ続けている。

「守礼之邦」に無礼で報いて恥じる様子が全くないのは、政権与党がもはや猿ばかりの集団になってしまっているからだ。

「反知性主義」と喧伝されるが、実態は主義でも何でもない。
無知と恥知らずの塊でしかない。

痛みへの感度ゼロの猿たちが、沖縄ばかりか、震災と原発の被災地にも、さらに朝鮮半島や中国にも蔑視を向け続けている。
おとなしくしていれば害は少ないのに、猿山に金銀を貯め込もうとするのでその害悪はとどまるところを知らないほどだ。

*******

ドローン(無人攻撃機)など、全く良心を痛めずに済むような兵器ばかりが進化し、それを扱う人間の方は進歩しないどころか逆に劣化し退廃している惨状を、さて何としよう。

*無人機のセンサーなど日本の技術の軍事用移転が現実のものとなってきた。
日→米→イスラエルと渡ってガザへのジェノサイドに使われようとも、それを検証する責任は負わない、というのが日本政府の態度だ。

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コメント
記事にコメントを下さりありがとうございます。だいぶ前に書いたものですが、沖縄をめぐる情勢は変わらぬどころか悪化するばかりであることに暗然とします。先人の経験を今に活かす気持ちだけは持ち続けたいのですが。

>独楽さん
>
>深い考察に感銘しています。
>沖縄の複雑な位置づけが文面から 伝わります。
>
>最近 様々なYouTubeで 沖縄出身の方々の声を聴くこともあり 例えば 基地移転問題なども シンプルなものではなく 軽々に意見を述べられないと認識しています。
>(返還 差別 基地・・ 別々の問題ではなく 根はどこかでつながっているのかもしれませんね)
>
Posted by:岡本清弘  at 2024年01月15日(Mon) 21:24

深い考察に感銘しています。
沖縄の複雑な位置づけが文面から 伝わります。

最近 様々なYouTubeで 沖縄出身の方々の声を聴くこともあり 例えば 基地移転問題なども シンプルなものではなく 軽々に意見を述べられないと認識しています。
(返還 差別 基地・・ 別々の問題ではなく 根はどこかでつながっているのかもしれませんね)
Posted by:独楽  at 2024年01月11日(Thu) 00:50

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