石原吉郎「事実」[2026年02月12日(Thu)]
アオサギが凝然と佇む。その前でそれぞれに過ごす水鳥たち。不思議な階調が支配している。
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事実 石原吉郎
そこにあるものは
そこにそうして
あるものだ
見ろ
手がある
足がある
うすらわらいさえしている
見たものは
見たといえ
けたたましく
コップを踏みつぶし
ドアをおしあけては
足ばやに消えて行く 無数の
屈辱の背なかのうえへ
ぴったりおかれた
厚い手のひら
どこへ逃げて行くのだ
やつらが ひとりのこらず
消えてなくなっても
そこにある
そこにそうしてある
罰を忘れられた罪人のように
見ろ
足がある
手がある
そうしてうすらわらいまでしている
『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫、2005年)より
◆各紙、改憲支持率の極めて高いことを報じ始めた。
選挙期間中、タカイチ自民が隠蔽した本当の争点を追及せず、このタイミングで高い数字を並べて改憲に加担する。戦前もそうだったのだと、思い起こさせる。
引き返せない地点はもう過ぎた。
未だだ、未だ未だ、と思いたい気持ちは常にある。
だが、前に進むことが出来ない。ただただ踏ん張るのみ。多くは後じさりして姿を消す。
この詩にあるように「うすわらいさえして」。
退却せず踏ん張っている者は、いつの間にか最前線にいる。
皇軍来たらず――満州しかり、比島しかり、沖縄しかり。
怒れる民草はどこまでも踏ん張る。
死してなお、立ち姿のまま踏ん張る。



