南雲和代「異国の少年兵のように」[2026年01月17日(Sat)]
◆南雲和代(なぐも・かずよ)の詩集『僕たちはなくしたことばを拾いに行こう』、〈多摩川叙景〉の第二篇――
異国の少年兵のように 南雲和代
――多摩川叙景
八月の炎天の太陽の粗い光を避け
葦原に潜んでいた野鳥が
京浜工業地帯の灯りを求めて飛び立つ夕暮れ
六郷橋を蛇行しながら
銀色の自転車の群れは川崎をめざす
遠い沙漠の少年兵のような哀しみを湛えた瞳
落ちる太陽を背に京浜工業地帯の海に
呑み込まれまいと車輪は戦車のように走る
少年たちの祖父が集団就職で作った工場街は
タワーマンションに変わり
彼らの戦闘の相手など何処にもいない
架空な敵を求めるドン・キホーテのように
彼らの夏は真空の幻影の中で錆びていく
少年たちの夢魔が覚醒した夏の終わり
暴力に吞まれた少年は警察に捕らわれ
迎えに来ない父母に見捨てられ施設に収容された
逃げ延びた少年たちは河口を背に立つ児童館に夏を隠蔽し子どもの瞳を装うために緊急逃避する
夏の間は何処に行っていたのかと
笑いながら話しかけても
少年たちは細いナイフのような顎でかすかに口元をゆがめて答えることなどない
六郷の葦原の野鳥の繁殖の営みのさえずりが耳障りで 葦原を焼き尽くしたいと願ったことなど一言も口にすることなく
川崎のゲームセンターで遊んでいたと声変わりが終えた声で呟く
夏の光に腐蝕したタイヤの土を落とし
少年たちの自転車が校舎を走ることはない
終わった十五歳の夏
静寂を取り戻した河口の葦原で
野鳥は巣を作りまどろむ
秋の光が葦原を冷たい銀色の穂に染め変える
『僕たちはなくしたことばを拾いに行こう』(土曜美術社出版販売、2023年)より
*六郷橋……多摩川をまたいで東京・大田区と川崎市をつなぐ橋。多摩川が北西から時計とは逆向きに大きく湾曲して東京湾に向かう地点に架かる。
◆高度成長期、金の卵ともてはやされて中学を卒業したばかりの少年・少女たちが都会に出て来た。いわゆる集団就職である。その終期は1973年のオイルショックのころ。若年の働き手が中学生から高卒にシフトして行った。
そうした世相の反映であったろう、TV「金八先生」が話題となった。1970年代の終わりから80年代、「荒れる中学生」が社会現象となった時代である。
この詩の「少年たちの自転車が校舎を走る」というのは、そんな学園の「荒れ」を象徴していた。
「腐ったミカン」「割れ窓理論」といった流行り言葉が大人たちの間でも飛び交ったが、現象の背後にある社会構造の変化や経済の圧力が家族の在り方まで変えて行ったことを認識する余裕のないまま、対応に追われていた時代。
◆それに比べれば、今どきの中高校生たちの行儀の良さに舌を巻くことがある。
例えば、散歩とちゅう、海からの帰りらしき少年たちの自転車集団に出くわす。念のためこちらは立ち止まる。
すると、頭を下げ、「ありがとうございます」などと礼を言って通ってゆくのだ。そんな経験は一度や二度ではない。
「ジジイ、邪魔邪魔」と言いたい気持ちが腹の中のどこにもないのか、それとも胃液とともに無理矢理呑み込んだりしていないんだろうか?



