塔和子「作ったものの意のままに」[2026年01月11日(Sun)]
ビワ(枇杷)の花のようだ。たくさんの茶色いつぼみの中に咲き始めた白い花。
つぼみは毛糸で防寒対策を施しているように見える。
ビワの少しざらざらした実を食べるときに、このつぼみの姿を思い出すに違いない。
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作ったものの意のままに 塔和子
チョコレートと餅の味の違いについて
果物と野菜の味の違いについて
獣肉と魚の味の違いについて
わかり切ったことだから誰も言わない
でも
それぞれの味が違い
この世の食物の種類が豊富であることは
多分喜ばねばならないだろう
たとえひと匙の宇宙食で命をたもつことが出来る
時代が来ても
この舌が豊富な食物の味を知っているかぎり
決してそれに満足しないだろう
薬で生きることはいや
注射で生きることはいや
食べて排泄して生きるように作られているのだから
作った者の意のままに在りたい
私は
目の前のひとかけらの餅を見る
餅がいつの頃から在ったかなどどうでもよい
故郷のいろりで焼いて食べた餅の味
定着農をはじめ
毛皮を腰にまとった
人類の元にさかのぼる
素朴な幻影と思い出を重ねて見る
視る
観る
ひとかけらの餅を
塔和子『記憶の川で』(編集工房ノア、1998年)より
◆「多様性の尊重」と建前を述べ立てても実態が変わらないことの理由の一つに、五感に基づかない、肉体からを離れた言葉を発していることがあるだろう。
この詩は「食べる」という、いちばん根源的な生のいとなみ、それを司る「舌」に「ことば」を載せる。
「ことば」もまた、生きることを支えている。
ひとかけらの餅は古代から現在に至る人の営みが生んだ糧であり、時間の堆積を内に包み持つ。
それを「みる」「私」はその歴史の堆積を餅に〈見る⇒視る⇒観る〉。
ひとかけらの「餅」からそれを作った人、農のいとなみ、土や水、それらをもたらしてくれた大いなるものの恵みまでを見つめる。
そのようにして、いわば、眼によっても「餅をあじわう」のである。
そうした感覚を持たずして、さまざまな食べ物の何を味わうというのだろう。



