長田弘「涙の日 レクイエム」[2025年11月15日(Sat)]
涙の日 レクイエム 長田弘
あるところに、女がいた。
男がいた。走りまわる
子どもたちがいた。じぶんを
羊だと思っている年寄りもいた。
来る日、来る日、慈しむように
キャベツをそだてる人がいた。
道を尋ねるように、未来は
どっちですかと、尋ねる人もいた。
石の上にはトガゲが、池には
無名の哲学者のような
ツチガエルがいた。
遠く赤松の林がみごとだった。
そうして、一日一日が過ぎたのだ。
そうして、無くなったのだ。
それら、すべてが、
いちどきに。
いつもとおなじ、春の日に。
そうして、一日一日が過ぎたのだ。
そうして、いつもの年のように、
やがて朱夏がきて、
白秋がきて、柿畑に柿は
実ったが、収穫されなかった。
その秋、ヒヨドリたちは
啼き叫んで、空をめぐったか?
絶望を語ることは、誰もしなかった。
けれども、女も、男も、
大声で笑うことをしなくなった。
風巻く冬が去って、
陽春が、いつものように、
めぐり、めぐり来ても。
『奇跡 ― ミラクル ―』(みすず書房、2013年)より
◆前回の「未来はどこにあるか」に続く詩。
やはり3・11をテーマとする。
収穫されなかった柿の実は、放射線が音もなく村の生活から奪い去ったものを象徴する。
それをついばむ鳥たちも沈黙した。
廃炉の見通しが立たないまま、原発再稼働。そればかりか、原潜を持とうとする国家なんて、まともじゃない。
だが、しかし、それでも、なお、人々は正気を保とうとしている。



