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長田弘「未来はどこにあるか」[2025年11月13日(Thu)]

DSCN3903チェリーセージ(サルビアミクロフィラ).JPG

チェリーセージ(サルビアミクロフィラ)という花。名の由来は葉の香りかららしい。


*******

◆長田弘の最晩年の詩集『奇跡 ― ミラクル ―』、昨日の「空色の街を歩く」に続く幾篇かは、3・11を経て紡がれたものたちだ。


未来はどこにあるか  長田弘


冬の日差しが差し込む
二つならんだ細長い窓の前、
二つの脚立に、差し渡しただけの、
大きな一枚板が、わたしの机。
引き出しがないので、
何も隠すことはできない。
机の上に、無造作に、
散らばっているとしか見えない、
小さなものすべてが、
今日という、とりあえずの、
人生の一日に、必要なもののすべて。
ウィンドウズXPの、古いパソコン。
古い新聞の、古い切り抜き。
読みさしの本、いくつか。
ジョン・ニコルズの、空の写真。
あるいは、チャールズ・アイヴスの、
コンコード・ソナタのCD。
けれども、未来はどこにあるか。
机の上に、雑々と、散らばる
小さいものたちのあいだの、
どこに、未来はまぎれているか。
未来。未ダ来ラヌ時、後ノ時。
明治二二年からの辞書からの書き抜き。
けれども、いま、未来はどこにあるか。
ある日、東北の、釜石から
送られてきた、手づくりの句一つ。
「三・一一神はゐないかとても小さい」
未来はいまも、未ダ来ラヌ時だろうか。
もう、そうではないのではないか。
いま、目の前にある、
小さなものすべて。
今日という、不完全な時。
大切なものは最上のものではない。


  『奇跡 ― ミラクル ―』(みすず書房、2013年)より

*詩にある「チャールズ・アイヴスの、コンコード・ソナタ」とはアイヴス(1874-1954)のピアノソナタ第2番のこと。
この詩に接して初めて聴いてみた。演奏時間45分を超える長大な曲だ。やはり長大なベートーヴェンのハンマークラヴィア・ソナタ(第29番)を思わせる。
四つの楽章からなり、第一楽章から順にエマーソン、ホーソーン、オルコット家(『若草物語』のルイザ・メイ・オルコットやその父ブロンソン・オルコット)、ソローにちなむ。いずれもアメリカの詩人や作家たちである。


◆詩の後半、「けれども、未来はどこにあるか」は、詩人の自分自身への問いとして始まるが、それが「けれども、いま、未来はどこにあるか」とただ一語「いま、」が加わっただけで、詩を読む我々への問いとして立ちのぼる。問いは未来の応答を待っている。
答えることが不可能だとしても、問いに応えて何らかのことば、あるいは何らかの行いとして返すべきこと、少なくともそこにうながす語りかけが、ここにある。
結語も重い。
「大切なものは最上のものなのではない。」

昨今「最適解を求めて」という言い方が流行る。それがイコール「最上のもの」でないことは明らかなのに、そのことを誰も怪しまない。「大切なもの」を見失った浮華と頽廃を何としよう。



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