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長田弘「空色の街を歩く」[2025年11月12日(Wed)]


空色の街を歩く   長田弘


空気が澄んでいる。
道の遠くまで、
あらゆるものすべてが
明確なかたちをしていて、
街の何でもない光景が
うつくしい沈黙のように
ひろがっている。
家々の屋根の上の
どこまでも、しんとして
透き通ってゆく青磁の空が、
束の間の永遠みたいにきれいだ。
思わず、立ちつくす。
両手の指をパッとひろげる。
何もない。―――
得たものでなく、
失ったものの総量が、
人の人生とよばれるものの
たぶん全部なのではないだろうか。
それがこの世の掟だと、
時を共にした人を喪って知った。
死は素
(す)なのである。
日の光が薄柿色に降ってくる
秋の日の午後三時。
街の公園のベンチに、
幼女のような老女が二人、
ならんで座って、楽しげに、
ラッパを吹く小天使みたいに
空に、シャボン玉を飛ばしていた。
天までとどけシャボン玉。
悲しみは窮まるほど明るくなる。
秋の空はそのことを教える。


  『奇跡 ― ミラクル ―』(みすず書房、2013年)より

◆年齢を重ねると、ちょっとしたしぐさやふるまいに浅くはない意味を見出すことがある。
この詩では、空に目を奪われて立ちつくしたこと。そうして思わず両手の指をパッとひろげたこと――そうしてその時、生きることの真実を発見する。

「得たものでなく、/失ったものの総量が、/人の人生とよばれるものの/たぶん全部なのではないだろうか。」

この真実を裏書きしているのは喪失の深い悲しみだ。

◆詩の終わりに登場するのは幼女のような二人の老女。
彼女たちは本当にそこに居るのか。
ひょっとして秋の空が見せてくれた幻なのではないか――そう思わせるほどに明るく美しく、この世のものとは思えないほどだ。





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