まど・みちお「いくら なんでも」[2025年11月04日(Tue)]
シコンノボタン(紫紺野牡丹)。
定点観測ではないが、横浜の港の見える丘公園から下る谷戸坂で今年も再会した。
ただ、今年は葉も少なく、元気がなさそうに見える。夏ヤセでもしたのだろうか。
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いくら なんでも まど・みちお
にんげんには
なく
わらう
うたう
はなす
いのる
ささやく
さけぶ
いう
などと つかいわけるのに
ただ
なく
だけでは
いくらなんでも わるいではないか
スズメや
セミや
ブタや
ウシや
カエルなんかに…
いくらなんでも…
伊藤英治・編『まど・みちお全詩集』(理論社、1994年)より
◆確かに言われてみれば、人間以外の生き物たちの「なき声」を表す言葉の少なさよ、と思う。
彼らの間にも実は「会話」というべきやりとりが行われている、という研究もあるというのに。
自分以外の生き物に殆ど関心を向けなかった結果、人間の「言葉」自体、ずいぶんいびつで貧しいものになってしまっているのかもしれない。
国会質疑の言葉など、「スズメやブタやカエルたちにわるい」典型例じゃないかと思えてくる。



