左川ちか「季節」[2025年09月07日(Sun)]
季節 左川ちか
晴れた日
馬は峠の道で煙草を一服吸ひたいと思ひました。
一針づつ雲を縫ひながら
鶯が啼いております。
それは自分に来ないで、自分を去つた幸福のやうに
かなしいひびきでありました。
深い緑の山々が静まりかへつて
行手をさへぎつてゐました。
彼はさびしいので一声たかく嘶(いなな)きました。
枯草のやうに伸びた鬣(たてがみ)が燃え
どこからか同じ叫びがきこえました。
今、馬はそば近く、温いものの気配を感じました。
そして遠い年月が一度に散つてしまふのを見ました。
島田龍・編『左川ちか全集』(書肆侃侃房、2022年)より
◆全集の詩篇群の掉尾を飾る一篇。
全集を編んだ島田龍によれば、『海盤車』5巻20号(1936年1月1日)に掲載され、作られたのは1935年の夏から秋にかけてと推定。今のところ最後の詩と誌している。
◆童話のような詩だ。
「一」という数字を詩全体を縫う糸目のように繰り返し登場させている。
「一」は物ごとの始まりを現したり、唯一無二の生における足跡の一つひとつであったりする。
遭遇した人々や出来ごとのどれもが、一度きりのかけがえのないものばかりだ。
馬は、それらを愛おしみながら、さびしさにたまらず、「一声たかく嘶」く。
すると、それに応えるように、すぐそこに現前するものたちがいる。
「一」つではない。それは父や母であり、祖父母であり、兄弟姉妹であり、友であり、それらにつながるあまたのものたちである。
こだまが重なり合い消えてゆくまでの束の間ではあるけれど、彼の孤独をやわらかく包んだもの――それは、彼があげた声に応えるように現出した、あまたのいのちたちだった。



