
イラン・イスラエル戦のさなかでも田植えは進めなければならない。[2025年06月14日(Sat)]
◆イスラエルとイランの軍事的衝突と応酬が続く。
NHKワシントン支局特派員の、緊張で紅潮した表情の報告が事態の深刻さを雄弁に物語っていた。
◆日本はイランとは融和的な外交を進めて来たはずで、テヘランに大使館も置いている。
当然ながら彼の国とは人の往き来もある。
イラン在住日本人も数百名にのぼるという。
かねてイスラエルの動きがあると言われながら、邦人の安全確保に日本政府はどう備えていたか、今後はどう動く見通しか、そうした報道が全くないことは、訝しむに足る。
◆原油高や株価への影響などは素人に判断がつかないが、経済への影響さておいて、これ以上戦火が拡大しないために、人道に立脚した平和的解決を提唱するのが日本の果たすべき役割だろう。
だのに、イラン・イスラエル情勢の次のニュースが関税をめぐる日米交渉の話で、イシバ首相のコメントもそれに終始するばかり。
カネ・取引の話はさておいて、まず平和を。日本は、アメリカに遠慮することなくむしろ、トランプの対イラン二枚舌外交にキッチリ注文をつけていい立場だ。
あちこちに戦の黒雲が立ちのぼっている現実をなぜスルーするのか、スルーさせるのか、政府、報道とも、不可解にもホドがある。
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◆地元の田植え、順調に進んでいる様子。
その昔、親族老若男女総出でやっていた田植えが記憶にある。
今は一人で一日何枚も植えてゆく。

◆このあたりも土地の記録によれば戦前は何度も境川の氾濫に悩まされたのだという。
この地にこして来た当初に何度かあった土堤の決壊も、かさ上げ工事のおかげで近年はゼロ。
秋の実りが台風になぎ倒されることもここ数年はない。無論それは運が良かっただけのこと。
天気に左右される農業の不安定さが全く解消したわけではない。
それでも営々と田畑を耕して来た人々の根気には頭が下がる。
実りを「家畜のエサ」呼ばわりする人に国政を担う資格のないこと、論を俟(ま)たない。