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長田弘『誰も気づかなかった』より[2025年06月10日(Tue)]


『誰もきづかなかった』より  長田弘



ことばがあった。
しかしそれがことばだと、
ここにいる、誰も思わなかった。
ことばは意味をもたなかったからである。



意味があった。
しかし意味には、
何の、どんな意味もなかった。
意味を誰も考えなかったからである。



なぜがあった。
しかしなぜと、
ここにいる誰も、問わなかった。
なぜには答えがなかったからである。



智慧があった。
しかしそれが智慧だと、
ここにいる誰も思いはしなかった。
智慧は尋ねられなかったからである。




長田弘『誰も気づかなかった』(みすず書房、2020年)から連続する四篇を引いた。

これらの前後のやはり四行ずつからなる詩句と意味を重層させながら、詩人の声が空間を震わせてからゆっくり逓減し、かと思うとまた次の詩句が唇から発せられて記憶の中に残響を残しつつ、しかしその響きが濁ることなく染み透ってゆく。

◆どの連も独語でありながら聴き手にまっすぐ届くように発せられている。
「である。」と、いずれも断定の言葉であるのに、聴く者への問いを含んでいる。
そうして、聴くこちらに、君も尋ねるように促してくる。

例えば、上に引いた三番目の連、「誰も、問わなかった。/なぜには答えがなかったからである。」に対して、強いて「解」=「答え」を与えようとするなら、いくつか思いつかなくはない。
▼「答えがな」いと思えば、「問う」ことじたい無意味だと考えて、それで終わりにする。それがふつうの人のやり方だろう。
あるいは、
▼安直な「答え」を求めているのではない「なぜ」、というのもありうるかも知れない。
一知半解の「答え」では取り逃がすものが余りに大きいということが直感できる場合だ。問いの向こうに横たわるものがとてつもなく巨大だと思われるとき、それに費やすものの膨大さにひるみ、沈黙してしまう。

――以上は、どちらも「個」が「答える」ことを想定していて、それ以外の応答する主体に思いが及ばない。さらに「問いと答え」は必ずセットでなければ意味が無い、という思い込みから自由でない。
そう考え始めると、この「〜である。」という断定表現が、実はそこで決着しているのでは全く無く、その先を考えるよう促しているのだと思われてくる。

◆四連目も同じだ。「尋ねられなかった」ならば、それは存在しないことになってしまう。「智慧」は尋ねられることを求めて存在している。尋ねるならば必ず応答してくるものとして、そこにいる――たといそれが、さらに新しい問いのかたちで返って来るにしても。





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