
日英同盟[2025年05月22日(Thu)]
◆昨日のパレスチナをめぐるイギリスと日本の歴史的関わりについて、もう少し触れて置く。
日英同盟(1902年~23年。1905、1911年に改定)がロシアのアジア進出を牽制するのが目的の軍事同盟であったことは世界史の教科書で出てくる。日露戦争における日本の勝利の大きな要因だ。
一方それは、イギリスが中東において自国の権益をしっかり確保する条件整備の一環であった。
そのことについて早尾貴紀は、次のように指摘する。
パレスチナヘの侵略の決定的な転換点は第一次世界大戦であった。オスマン帝国が敗北し、その帝国領だったアラプ地域がイギリスとフランスによって分割され、パレスチナは英国支配を受けた。戦時中に確認されたバルフォア宣言*によって、パレスチナは欧米のシオニストと諸政府によってユダヤ人国家へと乗っ取られることが既定路線となってしまった。三次にわたる日英同盟によって、イギリスの植民地支配を側面支援しつつ、アジア地域での日本の植民地支配を優位に進めることができた日本もまた、この「新世界秩序」の共犯者であることは間違いない。
『パレスチナ、イスラエル、そして日本のわたしたち 〈民族浄化〉の原因はどこにあるのか』〈まえがき〉より(皓星社、2025年4月)。
*バルフォア宣言…1917年イギリス外相A.バルフォアが、パレスチナにおけるユダヤ人国家の建設を支持した宣言。イギリスの中東政策におけるいわゆる「三枚舌外交」を象徴するものの一つ。