
中村稔(散歩の途上……)[2025年03月22日(Sat)]
水温み、ゆうゆうと遊ぶ鯉(境川に宇田川が注ぐあたり)。
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(散歩の途上……) 中村稔
散歩の途上、気づくと日没に近く
周りが刻一刻と暗く寂しくなり、
途方にくれるときがある。風が木々を揺らし
私も風になぶられて、言うべき言葉を失う。
言葉を失うのは私が一人でいるときだけではない。
相手があっても、相手が悲しみに沈んでいるとき、
慰めることさえはばかられると感じられるとき、
私たちは口を噤んで相手と悲しみを共にするようにつとめる。
散歩の途上、私が言葉を失うのは、
私の孤立感のためだし、相手の悲しみに口を噤むのは
相手の孤立感を相手と共有するためなのだ。
言葉は私たちが社会的な場にいるときしか機能しない。
私たちが社会から見捨てられ、孤立していると感じるとき、
言葉は私たちをつつむ闇の隅にひっそりと身を潜めている。
『むすび・言葉について 30章』(青土社、2019年)より〈4〉
◆言葉について14行詩に綴った30篇を収めた詩集。
◆言うべき言葉を失い、相手の悲しみに口を噤む、だがそのときでさえ言葉は消えてしまったのではない。「私たちをつつむ闇の隅にひっそりと身を潜めている」のだという。
停戦合意が崩壊したいまもまた。