
「終わりに見た街」タイムスリップして迎える3月10日[2025年03月10日(Mon)]
ムクドリ。群れていない時もある。
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◆3月10日は東京大空襲の日で、いくつかTVで特集もあったが、去年の9月に放送されたドラマ『終りに見た街』(テレビ朝日)が忘れがたい。
山田太一の原作、宮藤官九郎の脚本で大泉洋が主演したもの。
◆昭和19年〜20年にタイムスリップしてしまう2家族の話。
軍事教練や防空演習に必死の東京に放り込まれた彼らは、3月10日が近づき、東京大空襲が間もなく現実のものになることに戦慄を覚える。
歴史を変えることはできないだろうが、犠牲を減らすことはできないかと、2家族の父(大泉洋と堤真一)は街で触れ回る作戦に出る。大きな空襲があること、上野公園に逃げれば助かることを街行く人々に呼びかけて回るのだ。
関東大震災の先例があるように悲劇を生むデマの上に、正しい情報が乗っかれば、いざ空襲が始まったときにプラスに働くこともあるのではと、一縷の望みをつないだのだ。
◆震撼としたのは、ドラマの終わり近く、彼らの子どもたちが、戦時体制を生きるうちに、親たちが予想もしない変化を遂げたことに気づかされることだ。原作からその部分を引く――
敏夫(堤真一)の息子・新也はしばらく行方不明だったが、3月9日の夜、姿を現した。飛行機を作る工場で働いているという。
「みんな御国のために死ぬ気で働いています」と大声でいった。
「うん?」
敏夫さんも、少しドキリとしたようだった。
「誰ひとり日本が敗けるなんて思っているものはいません」
「ああ」と敏夫さんは、当惑したようにうなずいて「そりゃま、そうだったよ」
「学校の成績が悪いからといって、クズみたいにいう奴は、一人もいません。腰が決まらない教師もいません。みんなビシリとしていて、本気で日本のために死ぬ気です。ぼくはもう一月、二月と、連続月間増産表彰を受けて、誰にも負けません。学校の成績なんて、どんなに役に立たないもんかよく分ったし、工場じゃ本当に力のあるもんが、認められてるし、ヒョロヒョロして、理屈いうような奴は、ぶん殴られてますよッ」
新也くんは上気した顔で、叫ぶようにいった。こめかみと首に血管を浮かせている。
「そうか――」
(どう返事をしていいか分らない父に新也は語気を強めて言う――)
「お父さんたちは、まだつまらないことをいっているそうですねッ」という。
「え?」
「国が亡びるかどうか、というときに、真剣に戦わない人間なんて、親でもぼくは許せませんねッ」
「しかし、戦争はけっきょく敗けるんだし――」
「結果は問題じゃありませんよッ」と新也くんは父親を叱りつけるようにいった。「問題は日本人が心を一つにして戦っているときに、こんな戦争なんて、といって、背を向けている人間がいていいかどうかということですッ」
「いいかい。日本人はな、今年の秋には、みんな、この戦争が間違っていたっていっせいに思うようになるんだ」
「そういうことは関係ないでしょう」
「そうかな」
「どうですか、おじさん」新也くんは急に私(大泉洋)を見て、「国を守るために、喜んで死んで行く人間を、おじさんは笑えますか?」とつめよるようにいった。
私は慌てて弁解するように、
「むろん、笑えないけど――」
「笑えませんよ。つまらない戦争のために生命を無駄にしたバカものだなんて、誰にもいわせませんよッ」
「どうした?」敏夫さんは、途方にくれたような声を出す。
「どうしたとは、なんですか?お父さんは、なにをしてるんだ。会社を勝手に休んで、こんな戦争で死ぬことはないって、いい歩きに行ってるそうじゃあないですかッ」
「こんな戦争で、とはいわないが」
「いってるわ」と信子(「私」の娘)が茶の間でいった。「いったわ。こんな戦争って」
「信子――」
私がいさめると、
「私もたまらないわ。米国とみんな一生懸命戦ってるのよ。それをどんなわけがあったって、馬鹿にしたように見てるなんて、たまらないわ」
「馬鹿にしてはいない」
「だったら、真剣に工場へ行ったらいいじゃない。米軍は、どんどん日本人を殺してるのよ。無差別に爆弾を落して、赤ん坊だろうと、年寄りだろうと、どんどん殺してるのよッ」
「信子ちゃん――」
妻が呆然としたようにいう。
「稔(信子の弟)だっていってるわ。うちへとじこめて、戦争の悪口ばっかり聞かせて――こんなのたまらないっていってるわ。集団疎開でもなんでもいって、立派に、みんなと同じに、義務を果たしたい、といってるわ」
山田太一『終りに見た街』(中公文庫、1984年)より
◆若い世代に大人たちが突き上げられる。身につまされる。
それ以上に、ゾッとする。
戦争の悲惨を言うだけでは響かない。
では、どうすれば。