
貞久秀紀「体育」[2025年02月10日(Mon)]
体育 貞久秀紀(さだひさ・ひでみち)
ひとの世
には
こころをこめた体
があるように
体
をこめたこころも
ひとの世にはあるかもしれない
と
あるきながら
考えている
あるきながら考えていると
考えながら歩いてもいた
昼の
垣根がある
むこうからひとがあるいてくる
すれちがいながら
垣根ごしに会釈をかわし
それきりで
過ぎ
ふたたび会うこともなかった
けれど
会釈をするとき
こころ
には
体がこめられた
そんなふうに
かろやかにすれちがうのだった
『昼のふくらみ』(思潮社、1999年)所収
小池昌代編『放課後に読む詩集』(理論社、2024年)に拠った。
◆「こころ」と「体」を普通とは逆転させて、ふと考えさせる。
本来、この二つは一つのものであったろうに、便宜上二つに分けて考えようとするところから様々おかしなことが生じる。
ついにはこの二つが仇同士みたいに対立するものであるかのように扱ったりして、とんでもない不幸を招いたりする。
「この世界には男と女、二つの性しか存在しない」と妄言を口走った米大統領など、その典型だ。
◆会釈という心身一如のふるまいが、ある刹那に交わされる――何という優雅なふるまいだろう。
「拈華微笑」(ねんげみしょう)という仏教語がある。「以心伝心」と同様、ことばによらず、心から心に直接伝える、という意味で、昔から好きな言葉の一つだ。
この垣根越しにすれ違った二人が行ったのは、まさしくそれだ。
(そのことに「体育」というタイトルを当てたことも可笑しく、同時にハタと考え直させる。)