「安部公房展」[2024年12月10日(Tue)]
◆「安部公房展」、最終日に訪ねた(神奈川県立近代文学館)。
1924年生まれで、生誕百年と聞くと不思議な気がする(1993年死去)。
没後31年というのも、もうそんなに?という感覚が先に立つ。
作品も表現者・安部公房も古びないのに、彼の没後もなお生きている人間たちと社会の老化と劣化が甚だしいと思える。
机周辺の品々。
早くにワープロを導入した作家として知られる。初期の8インチフロッピーディスクの大きなことにも驚いた。
没後、執筆中だった「飛ぶ男」や「もぐら日記」もフロッピーディスクから発見されたのだった。
◆精魂傾けた演劇の展示も充実していた。
安部公房スタジオの第1回公演だった「愛の眼鏡は色ガラス」は1973年6月の渋谷PARCO劇場のこけら落としであった。
これは観ているのに、出演者の記憶がまだらにしか残っていない。
開場前、これに出演した田中邦衛氏とエレベーターで一緒になった。
上京したばかりの田舎者にとって、東宝映画の若大将シリーズでおなじみの顔が目の前に居るのは何とも不思議な事件だった。それ以上に労演の芝居しか観たことがない我が目は、役者の身体の不思議な動きに全く当惑させられた。そのためか、今回舞台写真を観て、新克利や山口果林の記憶は甦ったのに、舞台上の田中邦衛や仲代達矢の記憶は全くすっ飛んでいることに我ながら驚いた。
◆若き日の安部公房が、リルケの「ドゥイノの悲歌」に入れ込んでいたことは収穫だった。
◆文庫本になったものも含め、彼の作品の装丁の相当数を真知夫人が手がけたこと、また彼女が舞台美術を手がけた演劇作品も多いことを知った。いずれも斬新で印象に残るものである。
公房の没後、半年あまりのちに真知夫人も亡くなっている。写真には、演出家たちと打ち合わせ中のはつらつとした姿がある。早すぎる死というほかない。
安部真知という表現者の仕事をまとまった形で示したことは今回の展示の白眉と思う(今展の編集委員は三浦雅士氏)。