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佐野豊『二俣川』[2024年12月08日(Sun)]
◆時々通る駅の名が出てくる詩に出会った……
二俣川 佐野豊
友書房は
ちょっと見つけにくい
遠目には
店の全貌がわからない
あそこに
焼き鳥屋があるのは
なんとなく知っていたが
その隣に
古本屋があるとは
なかなか思わない
月にいちど
用事のついでに
寄るようになってから
ぼくにとって
あそこいらが
二俣川
十円玉を使って
鶏ももを買い食い
雑多な古本の山から一冊
百円玉でおつりがくる
店主は
なかなか陽気で
いかにも わけありって感じで
ある日
西洋ですか? と
話しかけてきたので
いえ
三好達治でもなんでもとかえすと
あわれ はなびら ながれ と
始まった
そらでぜんぶ暗唱してから
どうだと言わんばかりに
にっこりした
友はこんなところにも
いるのか
すべり込んでみれば
まだまだ顔がある
いつもなぜだか
ゆうぐれの
二俣川
『詩集 夢にも思わなかった』(七月堂、2023年)より
◆二俣川(ふたまたがわ)は横浜市旭区の地名で、相鉄線の駅もある繁華な街だが、友書房も実在する古本屋さんのようだ。
映画やアニメの舞台となった場所が「聖地」として急にファンが足を運ぶようになる、という話をよく聞くが、詩の場合はどうか。この詩を読んで、実際に行ってみよう、と思う人は居なくはないとしても、そういう人は、「聖地」としてまつりあげられたりして欲しくないと願うのじゃないだろうか。
「友書房」の主人も、にわかに店が人であふれても対応に困るし、三好達治以外の詩もそらんじてみせないと面白くなかろう、などとサーヴィス精神を発揮したりしたら人気はいやが上にも沸騰、かえって古本屋経営が立ちゆかなくなる、などということになったら、みんな困ってしまうだろう――そうならない程度に、ふと思いついた時に途中下車して、寄ってみようか、という気にはさせられる。まなじり決し、腕まくりして、「よし、今日こそ行ってみるゾ」などと構えるのじゃなくて、ね。
※三好達治の詩は「甃(いし)のうへ」(『測量船』所収)。