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宮崎駿、マグサイサイ賞受賞へのメッセージ[2024年12月02日(Mon)]

宮崎駿監督がマグサイサイ賞を受け、11月16日にフィリピンのマニラで行われた授賞式にメッセージを寄せたそうだ(11月29日朝日新聞夕刊)。
 マグサイサイ賞…マニラのラモン・マグサイサイ賞財団により、アジアで社会や平和に貢献した個人・団体に贈られる賞。「アジアのノーベル賞」と呼ばれている日本人の受賞者も多く、黒澤明、石牟}道子、中村哲医師たちも受けている。

ジブリの依田謙一氏が代読したメッセージを記事から引く――

《この受賞を機に、改めてフィリピンに思いをはせました。2016年、当時の天皇、皇后両陛下が、ここマニラを訪れ、マニラの市街戦に触れながら、命を失った多くの戦没者を慰霊しました。日本人は戦時中、ひどいことを散々したんです。民間人をたくさん殺しました。日本人はこのことを忘れてはいけません。ずっと残っていることです。そういう歴史がある中で、フィリピンからマグサイサイ賞を贈られるということを、厳粛に受けとめています。》

そうだった。少し前、母方の伯父の戦没地を知ろうと、靖国神社から記録を取り寄せたことがある。母親からは南方に向かう船が沈められて亡くなった、と聞いていたのに、全く違っていた。
夕刊の記事にある、マニラ防衛の市街戦によって戦死していたのだった(死没時の状況は正確な時日を特定できなかったのだろう。戦後だいぶ経ってから、日付が訂正されていた)。
靖国神社からは、戦死者の軍歴は陸軍の場合は各都道府県が記録を保管している(海軍の場合は厚生労働省)ということも教えられた。

その時は、伯父の従弟も同じくルソン島で一月余り早く戦死していたことなど身内の最期について知り得たことで充足していたのだが、日米が戦ったということだけではない。防衛庁が記録したフィリピン戦の分厚い記録にも出てこないのがフィリピンの人々が受けた被害である。

とりわけマニラ市街戦では多くの住民が巻き込まれて亡くなったはず。

冒頭の朝日新聞記事は次のように記す――〈民間の犠牲者は約10万人にのぼり、最終的に、日米の戦闘や米軍の砲撃、日本軍による虐殺などで、約111万人が亡くなったとも言われている。〉

加害の歴史を忘れないこと、知らなかったで済まさないこと、難しいが大事なことだ。



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