四國五郎「兵士」(『戦争詩集』より)[2024年10月28日(Mon)]
兵士 四國五郎
看護婦さん
私の脈搏を かぞえてください
病院の窓ごしに いくさの技をねる兵士らの
叫びがきこえ
私はそこへ帰ってゆくのです
素早く駆けて臥せ 小銃を発射する技術が
私の生命を守るのです
他のみちはないのです
息つくひまもなく五発 発射するために
私は 帰ってゆきたいのです
殺すために生きる人間でない
生きるための人間の やさしい掌で
私の脈搏を 数えてください
正常に脈うつことを
あかしだててください
・五発 九九式短小銃は一度の装塡で五発射てた。
四國 光 編『戦争詩』(藤原書店、2024年)より
◆脈搏をかぞえて証拠立ててほしいのは、訓練に耐えうる肉体だけではない。
人を殺す訓練を繰り返してもなお正常な精神を失わない「私」であること、「私」が「私」であることだ。
「殺すために生きる人間」=兵士になるとは、「私」が「私」でなくなること。
「私の生命を守る」訓練すなわち「誰かの生命を奪う」訓練であることを避けられない。そして、そのことに耐えられる者だけが生き残る――そういうことなのか?