上田由美子「その時 海は」[2024年09月06日(Fri)]
◆朝ドラ『虎に翼』、今日放送の第115回は、1963年12月7日、原爆訴訟の判決日。
裁判長は最初に、判決理由の要旨を読み上げる。異例なことと、ナレーションが言う。
読み進める途中で結論を了解した記者たちが傍聴席から立ち上がろうとするのを見た裁判長は、まなじりを決し、声を一段と張り上げた。判決理由にこめたものを、国民に、そしてそれ以上に政府と国会とに伝えずには、司法の責務を果たしたことにならないからだ。再び席に戻る記者たち――
――法廷入口には、裁判長の声に耳を澄ますヒロインの夫・星航一(岡田将生)の姿があった。戦時中に総力戦研究所で敗戦を予測しながら、国を動かすには無力であった悔いを抱き続けてきた。その苦悩が繰り返し描かれて来たドラマでもある。
◆判決は、原爆を「市民への無差別爆撃」と認め、「このような残虐な爆弾は戦争法の基本原則に違反する」と断じた。
*******
その時 海は 上田由美子
大げさな言い方ではありません
八月六日のあの日
波ひとつなかった瀬戸の海が
突然 水面いっぱいに
小さな 小さな泡が湧き上がったのです
海が膨らみ
ジュワジュワジュワとあぶくが広がり
悲鳴を上げながら
さざ波を駆り立てているようでした
河口の方からは
人が白い波のように溢れ出てきて
海は陸地で何が起きたのか知るよしもなく
ジュワジュワジュワとあぶくを広げ
さざ波を駆り立てているようでした
夕闇が近づくにつれ 焼つく体を癒そうと
川を渡り 海を渡り とめどなく繰り返されて
被爆者たちの死体は入江に集められました
どこからともなく一艘の舟が現れ
竜骨を銀色に輝かせながら
人々の魂ばかりを乗せて
薄暗い海の上を涯(はて)へ涯(はて)へと
すべるように漕いで行きました
あれは舟ではなく
神さまの掌だったのではないでしょうか
それが証拠に
何十万人の魂だったと言うのに
舟からこぼれ落ちることもなく
漕ぎ手はどこにも見あたらなかったのです
まだジュワジュワジュワとさざ波が駆り立っていたのに
水面を優雅に 澄んだ音を奏でながら
残照の中へ消えていったのですから
それはそれは今まで見た夕日の中で
最も美しい色をしていましたが
陸地のほうはもっともっと鮮やかな赤い色で
まるで三百六十度のパノラマのようでした
その時海は
それが地獄の焰の色だったと
どうして知り得ましょうか
もし知っていたら 怒り狂って
大津波を起こしていたことでしょう
早春の瀬戸の海はここから見ると
深々と怒りの涙を海に溶かし
死骸を抱いて
すべてを吞み尽くしているような気がいたします
詩集『八月の夕凪』(コールサック社、2009年)より。
*この八月、拙記事では幾回となく、この詩集から紹介した。
詩人は、八月だけでなく、めぐる季節、朝な夕な、折々の風物につけて、原爆がもたらしたものを、そして何よりも、病臥の身となった友の命を見つめ、その骨を拾うことまでも書きとめる。
生き残った者が伝えずして未来はないのだから、と。
【八月に紹介した詩たち】
★「炎の風車」
⇒https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/3133
★「遠ざかっていく友」
⇒https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/3134
★「石畳」
⇒https://blog.canpan.info/poepoesongs/archive/3135