秋山洋一「鳩サブレ」[2024年09月06日(Fri)]
◆秋山洋一の詩集『第二章』からもう一つ――
鳩サブレ 秋山洋一
秋時雨が崖の匂いをさせてくる
ジャズが聴こえる異人街
波立つ港湾には鉛色の軍艦
海兵歌う昼のバーで
女がいろんなものを出し
やさしい眼差しの
見えない敵が通り過ぎる
沖を見れば
小さな島の上の青い空
それに近づくと無数の罅(ひび)が見える
降りてくるのは雲の疱疹
禁じられていない木の実として
崖から落ちた団栗が仰ぐ
各々の空
その海辺の窓の二百号
人の世の戦は戦
空はやっぱり空だから
人は人の分を生き
団栗は団栗の分を生きる
桟橋に釣られた鯊(はぜ)はそっぽ向き
枯蟷螂はただ飛ぶ真似をするばかり
島にあるのは朽ちた爆薬庫
小桟橋の曲がった灯
曇り窓を過ぎる稲妻
新聞紙に広げた煙草滓を巻き直し
煤電灯の下で聖書読む
星の欠片のような人もいた
いまカタカナばかりになった町の
残された斜め空仰ぎ
鳩の形のサブレをかじる
白い団栗頭の男がいる
『第二章』(七月堂、2023年)より
*枯蟷螂(かれとうろう・かれかまきり)…冬枯れの季節になって枯れ草色に体色を変えたカマキリ。
◆軍港・横須賀や沖合の猿島(弾薬庫などが今も残る、東京湾における要塞の島)、現在と過去を貫いているのは「戦」の記憶だ。
第一連の「見えない敵」とは、かつて敵として戦った日本人が、今はその素振りも見せず(or隠しおおせて)バーの外を往来している、ということか。
米兵からすれば、太平洋の西の果ての列島から南太平洋の島々に展開した日本兵が、密林から突撃を繰り返してくる体験と重なるだろう。すなわち、「見えない敵」への恐怖を甦らせずにはいない。
美しい油彩画も近づけばヒビが画面には見えてくる。それと同じように、絵のような空と海、そこに浮かぶ小島。
だが、つぶさに見れば、ちっぽけな生が区々たる時間を各々生きているばかりだ。
第四連、時間は再び現在に戻る。
「いまカタカナばかりになった町」とは、ヨコスカあるいはヨコハマを指すだろう。米軍御用達を代表するかのような町。
と同時に、稲妻が象徴するように、閃光が炸裂したヒロシマ、ナガサキを含んでもいるだろう。
***
◆詩集『第二章』に居並ぶ二十三の詩群は、どれを取っても、アンダンテに始まりアンダンテに終わる感じがある。
偶数の歩数で終息して行く。
それは、どの詩も四つの連から出来ていることと関係しているようだ。
緩急の変化はあっても、起承転結の歩を運んで終わるようなのだ。
各連は概ね八行を基本とする(むろん長短・伸縮はある)。
そうして、(この「鳩サブレ」が典型的だけれど、)第二連の静止画のように見える風景でさえ、そこには時間が流れている。風景画と言うより、映画やステージにおける、「シーン=場面・情景」と言ったほうが良い。
さて、詩題の「鳩サブレ」は、明治27(1894)年創業という、鎌倉・豊島屋の洋菓子だが、詩において、これが含意しているものは何だろう?