
白秋「糸車」[2024年05月23日(Thu)]

クロガネモチ。小さな花を開いていた。たしか、赤い実がたくさんつく。
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糸車 北原白秋
糸車、糸車、しづかにふかき手のつむぎ
その糸車やはらかにめぐる夕ぞわりなけれ。
金と赤との南瓜(たうなす)のふたつ転がる板の間に、
「共同医」の板の間に、
ひとり坐りし留守番のその媼(おうな)こそさみしけれ。
耳も聞えず、目も見えず、かくて五月となりぬれば、
微(ほの)かに匂ふ綿くづのそのほこりこそゆかしけれ。
硝子戸棚に白骨のひとり立てるも珍らかに、
水路のほとり月光(つきかげ)の斜に射すもしをらしや。
糸車、糸車、しづかに黙(もだ)す手の紡ぎ、
その物思やはらかにめぐる夕ぞわりなけれ。
吉田精一『鑑賞現代詩T 明治』(筑摩書房、1966年)より
*青空文庫では……
⇒https://www.aozora.gr.jp/cards/000106/files/2415_45802.html
◆白秋の『思ひ出』(明治44年)中の一篇。
糸車を廻しているのは老女なのだが、「(やはらかに)めぐる」と、糸車を主語として表現されているために、糸車がひとりでめぐっているように見えてくる。そうしていつの間にか、老女も、静物画のように置かれた南瓜や医館に置かれた骨格標本も静寂の中にかき消えて、ただ糸車だけが廻っているのが見える。
ここでの「見える」はそのまま無言歌のように「聞こえる」のでもある。
そのようにして音楽であり、また映像でもある不思議な詩。