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母のロクハラ[2024年03月23日(Sat)]

◆母逝く。享年九十八。

繰り返し語る思い出の中に、「ロクハラ」という地名がよく出てきた。どこのロクハラかと思って聞くと、岩手県の「六原」という所らしい。地図を検索してみたら北上川の西岸にあたる(現在は岩手県胆沢郡金ケ崎町六原)。

昭和20年、国が一つの終末に近づく頃に、銃後の若い女性たちが集められ、合宿教練のような日々を過ごしたらしい。
北上川で顔を洗い、ランニングし、畑にズラリと育ったトウモロコシを見ては、ため息をついて思ったそうだ――家にいれば、思いっきり食べられるのになァ――。
そこで栽培されていたトウモロコシは軍馬の飼料だったとのこと。人間が食べてもおいしいのか分からないが、馬がうらやましいと思えるほど空腹を抱えた青春であったことは確かだ。(現在の地図では岩手県立農業大学校があったりするから当時から農場などがあったのだろう。)

◆大正15年生まれ。詩人で同年に生まれた人に茨木のり子がいる(学年では我が母の方が一つ上か)。そのせいで、茨木の「わたしが一番きれいだったとき」に歌われた意気の良さ、戦時中押し込めたものを一挙に解き放つ昂然とした気分を、青春時代の母に重ねるようにして読んで来た。

◆母の長兄は戦争最末期に赤紙が来て、1945(昭和20)年6月にフィリピン、マニラ市攻防戦で戦死している(ルソン島リザール州モンタルパンで没した旨、靖国神社の合祀記録で確認できた)。
遺骨はない。
最近母方の戸籍謄本を見る機会があった。
驚いたのは、長兄の妻(我が母にとっては義姉)の実家の長男も、45年5月に同じルソン島のクラーク地区で戦死していたことだ。
ともに長男である。一家の跡取りを失った二つの家族が戦後味わった困難は想像するに余りある。

◆出征する長兄を見送ろうと、義姉とともに弘前駅(陸軍第八師団があった)に駆けつけたものの、見つけることが叶わぬまま汽車は行ってしまった、という話も母は繰り返し語った。
やはり無念を抱えたままの戦後だったということだろう。

向こうの世界で、長兄を見つけることができていますように。
ほかの兄たちや、最も慕っていた姉にも再会して、末っ子(津軽のことばでは「ヨデコ」or自称としては縮めて「ヨデ」)として、いっぱいいっぱい可愛がられていますように。




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