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永瀬清子「歓呼の波」[2023年12月23日(Sat)]

◆昨日と同じく永瀬清子の詩集『卑弥呼よ 卑弥呼』(手帖社、1990年)から岩波文庫版『永瀬清子詩集』に採られた詩を――



歓呼の波  永瀬清子


昭和十二年七月十二日、夫はまず召集され
東京駅を出ていった。
見渡すかぎりの万歳と旗と歌声の波に送られ
ろくに別れをかわす事も汽車の窓に近よる事さえもできずに――
ただその波に押しまくられているうちに汽車は出ていった。
いざ帰途につこうとプラットホームを去ろうにも
つぎつぎに増してくる人の波。
押され押されて、やっと反対側の鈍行東海道線に乗り
品川駅でやっとよろめき降り
ホームの水をあえぎ飲んだ。
あの歓呼のことは忘られない。
旗をふり、軍歌を高唱し
まるで犠牲の羊をリボンや花輪で飾りはやすように
自分の番でなかった事を
人々はまず喜んでいたのではないのか?
あの歓呼 忘られない。


谷川俊太郎選『永瀬清子詩集』(岩波文庫、2023年)より。


◆昨日の「有事」と同じく、1990年刊行の詩集『卑弥呼よ 卑弥呼』(手帖社)の一篇である。
この詩集から何篇か選録した谷川氏と編集者に感謝したい。

『卑弥呼よ 卑弥呼』刊行時、永瀬清子(1906〜1995)は84歳。昭和が終わり平成の世になったが、きな臭い動きに挑戦状を突きつける思いがあったのだろう。

権力とそれを反省なく支えるふつうの人々、「自分の番でなかった事を/〜まず喜んで」いる人々は、ロシアにもイスラエルにもいるだろう。
むろん、ウクライナやガザは遠い空の彼方だと、心のどこかで思ってしまう日本にも。


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