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永瀬清子「有事」[2023年12月22日(Fri)]

有事   永瀬清子


「一旦有事の時は、」と言う
その時が来たらと言うかけ声そのものが
もう「有事」なのだ。
戦争で恐ろしいのは
一時の気の迷いで長い後悔をあがなう事だ
むしろ死ぬ事よりもこわいその事。
偉い詩人にもたくさんの例があったのを
わたしはこの眼でみている。
つまりその眼は「後世」の眼なのだ。歴史の眼なのだ。

自分が信じる事以外には従うまい
そんな単純なきまりきった事でも
ちゃんと改めて自分にきめておかないと
きっとその時は、五寸釘をねぢ曲げるように
誰も彼も折り曲げられてしまう世の中になるのだ
おそろしい
そうだ
私はもう「有事」を語っている。


詩集『卑弥呼よ 卑弥呼』(手帖社、1990年)所収。
谷川俊太郎『永瀬清子詩集』(岩波文庫、2023年)に拠った。


◆「有事」を語るTVのコメンテーターや評論家、背広の下に迷彩服を着ているような口吻で語る。
ましてや、今日はA局、明日はT局とあちこちのニュース・ワイドショーに登場する防衛省の人々+そのOBたち。いつの間にこれほどたくさん、その方面の「専門家」が生まれていたのだろうと驚くばかりだ。

着々と「有事」への準備、いや有事の具現化が進んでいたなんて、知らなかった……って?
そんなハズはない。

***

◆振り返れば1989年あたりが分岐点の一つだった。
彼ら、戦争を身をもって経験した人たちが次々と現役を退いていったころである。
定年退職された方の、「来るよ」という一言を今も忘れない。
むろん、「また戦争が」、の意味である。

そう言えば、半導体から地方再生、教育にいたるまで、どこもかしこも「戦略」づくめの世の中なのだった。




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